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交渉するまでもなく諸々に二つ返事でOKをもらい、馬車の直ぐ側のスペースを借りてテントを設営することになったのだった―

―よし

すっかり日も暮れて、夜番の兵士や護衛の戦士以外は、早々に眠りにつこうとしている。

ケイもまた、テントの中、新たに購入した毛皮やクッションでパワーアップした寝床にいそいそと潜り込んだ。

かなりいい感じだ。今夜はよく眠れるだろう。

泥棒避けの篝火の明かりが外で揺れている。夜番を担当する兵士や護衛の戦士たちの、かすかな話し声だけが響いていた。

テントの中はほぼ真っ暗闇だが、ケイの視力なら、入り口の隙間からかすかに差し込む光だけでも充分だった。

胸元から、アイリーン謹製・お守り型の通信用魔道具”小鳥(プティツァ)“を取り出す。

目覚めろ小鳥(プティツァ)

ケイがキーワードを囁くと、ズズッと手元の影が蠢き、かすかに魔力が抜き取られていく感覚があった。

これはサティナの自宅の魔道具”黒い雄鶏(チョンリピトゥフ)“と対になっており、今頃は”警報機”を応用した機構で、着信を知らせる呼び鈴が鳴っているだろう。

待つこと数十秒。手元で再び影が蠢き、ズズ……と文字を形作った。

『元気?』

アイリーンからの通信。彼女の手癖が再現された筆致に、思わず笑みがこぼれた。

元気だよ

外の夜番たちに気取られないよう、最小限の声量で答える。

『……良かった』

数秒後、返事があった。

そっちこそ、元気か?

『……ケイの目がなくなって、酒を堪えるのが大変』

アイリーンが断酒に苦しんでいるのは、このところいつものことなので―つまり元気というわけだ。

俺も、アイリーンと一緒に断酒続けてるから、頑張ろう

『……(大きな溜息)』

この通信機は出発前にテスト済みだったが、実際に使ってみると、字幕機能みたいで妙に可笑しかった。

そっちは、何か変わったことは?

『……特にない。飛竜討伐軍が何日で帰ってくるか、賭けが流行ってるくらい』

アイリーンは賭けた?

『……毎日明日に賭け続ける羽目になる。やめておく』

……一日でも早く会いたいのは、お互い様だ。

こうしてリアルタイムに連絡が取れるだけでも、この世界ではありえないほど恵まれているが。

……それがいいな

『……そっちは何か、ニュースは?』

ああ、そうだ。ビッグニュースがある

こっちには話題が山盛りだ。ケイは寝転がったまま、ぐいと通信機に向けて身を乗り出した。まるで目の前にアイリーンがいるかのように。

なんと近衛狩人に任命されたぞ

『……Что(シュト)?』

ロシア語での表示。英語で言うなら What? だ。

思わず母国語で はァ? と漏らしてしまったであろうアイリーンの困惑顔が目に浮かぶようで、ケイは周りに気取られぬよう、笑い声を噛み殺すのに必死だった。

それから、ぽつぽつと説明した。

ヴァルグレン氏が実は宰相だったこと。いきなり呼び出しを食らったこと。通信保全を建前にボーナスタイムに突入したこと。それからコウとヒルダについても。

アイリーンも、『……マジかよ!』『……やったじゃねえか!』『……おう、コウの旦那がそんなことに!?』『……イリスが泣くなぁ!』などと大盛り上がりで。

お互い、相手の言葉は文字で表示されているので、ちょっとした通信のラグを挟みつつ、久々の(二日ぶりだが、二人にとってはもっともっと長く感じられた)会話であることを鑑みても、話題は尽きる様子を見せなかった。

ケイはいつの間にか、傍らにアイリーンが寝転がっていて、戯れに至近距離で手紙のやり取りでもしているような、そんな錯覚に陥りつつあった。

きっとアイリーンも、ふたりの部屋のベッドに寝転んで、ランプに揺れる影文字を眺めながら、似たような気持ちを抱いているに違いない―

このまま夜が更けるどころか、朝まで語り尽くせそうな気分だったが。

残念ながら、1回あたりごくわずかとはいえ、自前の魔力を消費する魔道具なので徐々に限界が近づきつつあった。

肉体的な疲労に、魔力の消耗まで加わって、まぶたがどんどん重くなってくる。

『……眠いんだろ? 今日はこれくらいにしとこうぜ』

ケイの状態を察したのか、アイリーンが気遣いを見せた。

あるいは、気を利かした影の精霊(ケルスティン)が、『(眠たそうな目)』とでも表示したのかもしれない。

ホントは、もっと話したいけど……そうしようか

目をこすりながら、ケイは言った。

…………

名残惜しげに、手の中の魔道具に視線を落とす。木の板に水晶や宝石が組み込んである作りで、どことなく地球のスマホを彷彿とさせるデザインだった。

画面なんてないけれど―アイリーンと見つめ合っているような気がした。

ヤ ティビャー リュブリュー、アイリーン

ちょっとだけはっきりした声で、ケイは告げた。

アイリーンと一緒に暮らすうちに、ちょっとずつロシア語もかじり始めたケイが、一番言い慣れている言葉だ。

『……けい、すき。あいしてる』

アイリーンの返信が日本語で、ひらがなで表示されていたのは―つまりそういうことだ。彼女もまた、ケイに暇を見ては日本語を教わっていたから。

愛おしくてたまらなくて、思わずケイが チュッ と唇で音を立てると、ほぼ同時に『(キスの音)』と表示された。

笑い声を堪えるのに苦労した。

……おやすみ、アイリーン。明日もまた、連絡するよ

『……楽しみにしてる。おやすみ、ケイ。いい夢を』

名残惜しいが、そこで通信を切り上げた。

大事に胸元に魔道具をしまい込んだケイは、仰向けに寝転がり直す。

……ふふ

テントの中、独り、ガラでもなく幸せそうな微笑みを浮かべたケイは、毛布にくるまって、ほどなく寝息を立て始めるのだった。

109. 機嫌

改良したフカフカの寝床で、ケイは爽やかな朝を迎えた。

……正確には、ちょっと寝過ごした。寝心地の良さに加えて、昨日は夜ふかしまでしていたからだ。

おーい、ケイ。起きろー

……んが

コーンウェル商会の馬車の護衛、ダグマルが起こしに来るまでいびきをかいていたくらいだ。

初冬にもかかわらず、テントの外が明るい。つまり朝日はかなり昇っているということだ。

このまま寝てたら置いていかれるぜ?

うおっ、まずい!

テントを片付けたり身支度したりで、何気に準備に時間がかかるのだ。ケイは慌てて飛び起きた。

よく眠れたみたいじゃないか。それにしても、こいつはまたずいぶん色々と買い込んだもんだな

テントの中の、クッションや毛布を覗き見て、ひげモジャのダグマルはクックックと忍び笑いを漏らす。