ああ。憶えてないのか?
幸運なことにな
ということは、ポーションで治療した痛みも記憶にないというわけだ。けろりとした表情のアイリーンに、それは確かに幸運だ、とケイは少しばかり安心する。
自分で肩の傷を治してみて分かったが、ポーションの痛みは尋常ではない。忘れられるものなら、頭の中から消去してしまいたい経験だ。肩を切り裂かれた傷でさえ拷問じみた苦痛だったのだから、肺を貫通した傷が内側から治療されていく痛みは一体どれほどのものか。想像するだに恐ろしい。
ぶるるっ
と、ケイに置いていかれたサスケが、ぱかぱかと二人の元までやってきた。つぶらな目で げんきー? と問いかけるように、アイリーンの頬をべろべろと舐める。ふさふさと揺れる尻尾。
あははっ、こら、くすぐったい……って、あれ?
じゃれるサスケに笑い声を上げていたアイリーンだが、ふと気付いた。
なんでケイがサスケに乗ってんだ? ミカヅキは?
その言葉に、ふっ、とケイの表情が翳る。
……あいつは、死んだよ
え、と声を上げるアイリーンに、ケイはサスケの鞍を示して見せる。折り畳まれて括りつけられた、褐色の皮。
盗賊に矢で射られてな。……さっき、形見を回収してきた
額当てに、タリスマンに、鬣。そして、綺麗なまま残っていた尻の部分の皮。亡骸の残りは、自然に任せることにした。
……この皮で、財布でも作って貰うかな
はは、と口の端を無理に釣り上げた笑みは、どこか痛々しい。
そ、そっか。だ(・)か(・)ら(・)そんな、血で汚れてるみたいな……そんなことになっちまったんだな?
ああ、だ(・)か(・)ら(・)だ。ちょっとな
皮の剥ぎ取りは、マンデルに手伝って貰いながら、ケイ自身でやった。そのせいで血に汚れているというのは、嘘ではない。
でも……“再受肉(リスポーン)”、は?
アイリーン
眉をひそめて尋ねてきたアイリーンに、ケイは表情を引き締めた。
そこらへんの話は、後でしよう。とりあえず、中で待っててくれ。すぐに行くから
ただ、一言だけ、そっと歩み寄ったケイは、アイリーンの耳に囁く。
……一日過ごして分かったが。ここは、
―ゲームじゃない。
†††
『さて、何から話そうか』
身づくろいをしてさっぱりと小奇麗になったケイは、椅子に腰を下ろしおもむろにそう切り出した。
村長宅、一番奥の寝室。
現在、部屋の中にはケイとアイリーンの二人きりだ。ダニーたちには、アイリーンとしばらく話をする旨を伝えてある。
寝台の上で胡坐をかいていたアイリーンが、ケイの言葉にぴくりと眉をひそめた。
『……なんで精霊語(エスペラント)?』
『ここの住人に聞かれたくないからだ。Just in case.』
念のためな、と英語を混ぜたケイは、小さく肩をすくめた。
『つまりCode(暗号)ってわけか』
『そういうことだ。英語以外の俺達の共通言語ってコレだけだろ。分からない単語は英語でいい』
『オーライ。ところで、魔術って使えんの?』
『使える』
アイリーンの問いかけに、ケイは断言する。
『精霊もこっちには来ているらしい。ただ、魔力を吸い取られる感覚はヤバかった。あれは確実に寿命が縮まってる。もう少しで気絶するところだったし、魔力が切れたら死ぬっていう仕様が、どういう意味だったのかを理解した』
『ってことは、ケイは魔術使ったのか?』
『……ああ。少し野暮用でな』
つっ、と視線を逸らすケイ。
何に使ったのか、尋ねようとしたアイリーンだったが、ケイのむっすりとした雰囲気にどこか壁を感じ、聞きあぐねる。
『―まあ、魔術の話は後でいいとして。問題は”この世界”のことだ』
強引に話の流れを修正し、ケイは真っ直ぐにアイリーンを見据えた。
『俺は最終的に、この世界はゲームではなく、 DEMONDAL に似た別の世界だろう、という結論に達した』
『……ふむ』
『根拠は、まあ、色々だ。感覚がリアルすぎる。汗やら血やらの細部までが全て再現されている。それにNPC―というか、この世界の住人の言動がAIとは思えない。エトセトラ、エトセトラ、だ』
『なあ、ケイ。昨日って結局あの後、どうなったんだ?』
アイリーンの、どこか不安げな質問。ケイはふぅ、と静かに息を吐き出した。
『そうだな、』
かいつまんで、事の顛末を説明する。アイリーンを抱えて逃げ、狩猟狼(ハウンドウルフ)を撃退し、ポーションで傷を治療、そしてタアフの村に辿り着き―
村長の家に厄介になったことや、アイリーンの毒が判明したこと。そして毒の種類を特定するために、盗賊たちに逆襲したことを、ケイは、伝えた。
『…………』
アイリーンの顔が、曇る。
『盗賊は、やっぱり、殺したのか?』
『ああ。……何人かは、な』
『そっか』
神妙な表情で、考え込むように、アイリーンは俯いた。
『…………』
どう、言葉を繋げたものか。ケイは迷う。
別に、恩を着せたいわけではないのだ。ケイ自身が選択したことだし、ケイの中では、ある程度の割り切りはもう済んでいる。
だから、アイリーンにまで、変な罪悪感を背負いこんで貰いたくはない。
それを言葉にしたいのだが、どう言えばいいのかが分からない。何を言っても、アイリーンに気を遣わせそうで。
しかし、考えている間に、アイリーンの方がふっと顔を上げた。
『その……ケイ、』
『ん? なんだ』
蒼い瞳が、ケイを見据えて、揺れる。
『……ありがと。助けてくれて』
はにかむような笑みは、どこかぎこちなかったが。
言葉はすっと、胸に沁みた。
『……なに。まあ、その、なんだ、』
ぽりぽりと頬をかいたケイは、敵わないな、と笑う。どう足掻いても、相手に気を遣わせてしまうのか。しかも、自分の気が少し楽になっただけで、結局は何も出来ていない。
どうにも、自分勝手な野郎だ、と。
ふっ、と笑ったケイは、尊大に腕を組んでふんぞり返り、
『―存分に感謝するが良い!』
『うお、いきなり態度がでかくなった!』
大仰にアイリーンが引いてみせ、顔を見合わせた二人は、くすくすと小さく笑いあう。
『まあ、そういうわけで、ゲームじゃないだろうと思ったわけだ。ゲームにしちゃあ色々と―出(・)来(・)過(・)ぎ(・)てる』
『こう言っちゃなんだけど、オレも本気でこれがゲームだとは思ってなかったよ』
アイリーンは小さく肩をすくめた。
『技術が発達すれば、これくらいリアルなVR空間も再現できるかもしれない。けど、今それがいきなり実用化されるのは、流石にちょっとありえないよな』
ベッドのシーツをひらひらとさせながら、ぼやくようにして、その視線はどこか遠く。