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ランダールは目を丸くして身を乗り出す。

どの嬢ちゃんかは知らんが、アイリーンだ

へえー! はっはは、そいつはめでたい。おめでとうおめでとう。まったく、ケイも隅に置けないな!

うりうり、と肘で小突いてくるランダールに、 よせやい と笑顔で応じながら、ケイは思った。

(俺が結婚してることも、アイリーンが妊娠してることも知らないのか……)

公国には何もかも把握されてるんじゃないか、と思っていたが。上司は宰相閣下ではないのだろうか? もしくは現場の人間には、そんな細かい情報までは共有されていないだけか。……ケイの重要度を考えれば別におかしくはない。

(……あるいは、知らないフリをしているだけか)

ケイの目には、ランダールが本当に驚いていたように見えたが、仮に裏稼業の人間ならば、ケイ程度を誤魔化すことなどお茶の子さいさいだろう。

ただでさえ外国語環境では、ケイは鈍(・)い(・)。母国語(にほんご)と違って、相手の言葉の裏に滲む、細かい機微を読み取れないからだ。

しかしここで知らないフリをすることに、どんな意味があるかはわからない。

(まあ、どっちでもいいか)

ランダールはどのみち、公子を守る側の人間なのだろうとケイは推測している。少なくとも公子を狙う曲者ではないだろう。ケイが気づくレベルの『不審人物』なら、早々に公子側の人員に処分されているはずだ。

こうしてホイホイとケイを訪ねてこられる時点で白、と考えていい。

仕事はもういいのか?

今は暇だからよ

さり気なく探りを入れたが、軽く返された。はてさて……

(いずれにせよ公国側の人員なら、“小鳥(プティツァ)“について知られるわけにはいかないな)

あの通信用魔道具は危険すぎる。早くアイリーンに連絡を取りたいし、ここは聞きたいことだけ聞いて、さっさとお引き取り願おう。

暇ならちょうどいいな、まあ呑んでくれよ。俺は人が呑んでるところを見るだけでも楽しくて好きなんだ

心にもないことを言いながら、 つまみもあるぞ などと、香辛料たっぷりのジャーキーを差し出すケイ。

え、そうか? じゃあ、まあ、仕方ねえなー、そこまで言われちゃなあー

ランダールは嬉々としてジャーキーを咥えながら、トクットクッ……と澄んだ蒸留酒をゴブレットに注ぎ始めた。

今宵、ケイにこうして話をしに来たのも、何らかの意図があるはず。酒で口を軽くして……という魂胆だったのだろうが、こんな機会がなければ、ランダールの立場では早々酒など飲めまい。

悪いなぁ、俺だけ

並々と蒸留酒を注いだゴブレットを掲げて、目を細めるランダール。お互い、予定調和という感じがする。酒でケイの口を軽くする、という建前で、ランダールも上等な酒を持ち出したのかもしれない。

まあ俺にはこれがあるからな、気にするなよ

なんだぁ、お前さんもしっかり呑むんじゃないか

これは仕方ないだろ

ケイが取り出したのは、うっすい葡萄酒の革袋だ。それをゴブレットに注ぐ。

これはノーカンだ。酒ではない。アイリーンとの協定でも、そう定められている。度数がめちゃくちゃ低いので、『身体強化』の紋章で耐毒性も強化されているケイには、ほとんど水と変わらないのだ。それこそ樽いっぱいでも飲まない限りは。

そも、行軍中は、常に清潔な飲み水が手に入るとは限らない。衛生上の問題から、エールやワインで水分補給も余儀なくされる。

なのでこれは仕方ない。それにアイリーンの言う『酒』とはウォッカみたいな強めの蒸留酒のことだ。これはぶどうジュース。ぶどうジュースなのでノーカン。

久々の再会を祝して、乾杯

太っ腹な近衛狩人殿に乾杯!

こつん、とゴブレットをぶつけてグイッと。

かぁーッ生き返るなぁ~

ランダールはジャーキーをもしゃもしゃと味わい、そこに蒸留酒を流し込んで至福の顔を見せる。とても公国の裏の人員には見えないが……

このまま、ただ酒盛りをして終わりともいくまい。

ケイとしても、離脱したあとのガブリロフ商会の動向は気になるところ。

それで、あのあとはどうなったんだ?

先手を打って、本題に入ってみる。

大騒ぎだったよ。十中八九くたばると思われてたピョートルが蘇ったんだ

変わらぬ調子で答えるランダール。

あんときの、ゲーンリフの慌てっぷりは見せてやりたかったな。アイツがお前さんにキツく当たってたせいで逃げられたんだ、と突き上げるやつが多くてな……自分らの態度は棚に上げてさ

ちょっと意地の悪い顔で、くつくつと喉を鳴らして笑う。ケイも思わず苦笑した。異民族への風当たりが強くて、あの北の大地での隊商護衛は、お世辞にも快い思い出とは言えなかった。

そんな中でも、ケイには親身で接してくれたピョートルと、その仲間たちは一服の清涼剤だったが―

ピョートルは、どうしてた?

自分が快復してることが信じられないみたいだったぜ。目を覚まして、事の顛末を聞いて、もっとケイに礼を言いたかったと後悔していたな

そうか……

そのとき、ランダールはふと思い出したように、杯を傾ける手を止めた。

そういえば、俺もちゃんと礼を言ってなかったな。本当にありがとう、ケイ。お前さんがいなけりゃ、俺も今頃、異国の地で骨を晒していたところだ。本当に命の恩人だよ

どういたしまして。俺自身も助かりたい一心だったよ

馬賊との壮絶な騎射戦、その後の敵魔術師との魔術戦、さらに後味の悪い戦後処理やピョートルとの別れ―そういったものを生々しく思い出しそうになって、ケイは首を振って、ぶどうジュースを口に流し込んだ。

……ふぅ

…………

夜空を見上げて、溜息をつくケイの横顔を眺めながら、ランダールは思案するように盃を傾けている。

ピョートルも、もし俺がまたケイに出会うことがあれば、『心から感謝している』と伝えてくれ、って言ってたよ

そうか。……彼には随分と助けられたからな、恩返しができてよかったよ

……いやはや、デカい恩返しだ。アレに懲りて、ゲーンリフどもも、ちったぁ身内以外にも優しくなればいいんだがな

そうなるとは欠片も思ってなさそうな口調で、苦笑いするランダール。

―それにしても、あれはいったい、どういう魔(・)法(・)だったんだ?

そら来た。

……いや、なに。薬商人としては、俺も興味があってよ

その設定はまだ有効らしい。

どうもこうも、魔法だよ

ケイは何食わぬ顔で、懐に手を突っ込む。ひょい、とランダールに放ってみせたのは、缶入りの軟膏だ。

これは?

アビスの先駆け をすりつぶした軟膏

えっ?

手の中の缶をまじまじと見つめ、フタを開けてみて、青白いクリーム状の軟膏に目を丸くするランダール。じっくりと観察する目つきが、完全に、『そのスジの者』になっていた。