テーブルを囲んだ、まるで家族のように、和気藹々とした団らんの光景―。
あ、ケイ! おかえり!
口の端にパン屑をくっつけた、アイリーンの無邪気な笑顔を見て、ケイは、何も言えなくなってしまった。
お帰りなさい。ケイ様も、いかがですか。ご夕食はまだでしたでしょう
あ、ああ……ありがとう
シンシアに促されるままに、ケイもまたアイリーンの真向かいの席に着く。隣に座るベネットが、目ざとくケイの腰の長剣に気付いたが、そのまま何も言わずにつっと目を逸らした。愛しの孫娘の前では、計算高い村長ではなく、ひとりの祖父のままでいたいらしい。
(……まあ、どうせこの状況じゃ話も切り出せないしな)
とりあえず大人しく夕食を頂こうか、とケイは肩の強張りを自覚して、小さく息をついた。
どうぞ。お口に合えばよいのですが
ケイ、シンシアさんのスープ美味しいぞ!
野菜スープや堅パン、火で炙った塩漬けの豚肉。それらの皿を並べたシンシアが、どうぞ、とにこやかに語りかけてくる。シンプルながらも栄養バランスの良さそうなメニュー。かぐわしい香りが鼻腔を刺激する。
しかしそれらを前にしても、食欲は全く、湧かなかった。
食わねば失礼、というよりも、食えるうちに食っておけ、という精神で、ほとんど味も分からぬままに、ケイは無理やり食事を詰め込んだ。
手早く食器を片付けたシンシアが、ジェシカをクローネンの元に送り届けるため家を出たので、ケイとアイリーン、それにベネットの三人だけが居間に残される。
村長、盗賊たちの物資についてだが、この剣と銀貨は俺が貰い受ける。その代わり、残りのものは全て、そちらにお任せすることにした
ほぉ……それは、それは
ケイの申し出に、意外そうな顔をしたベネットは、 ありがたい話ですのぉ と呟きつつもゆっくりと髭を撫でつける。その目には喜色というよりもむしろ、猜疑の色。なぜそこまで都合のよい申し出を? とケイの話の裏を読み取ろうとするかのように。
―この村の人々の御蔭で、俺達は随分と救われた。その礼と考えれば、これでも安いくらいだ
大袈裟すぎない程度に愛想笑いを張り付けて、ケイは歯の浮くような台詞を口にした。だが嘘はついていない。『命の値段に比べれば安すぎる』という一点において、皮肉にも、それは偽らざる本心だった。
……勿体ないお言葉ですじゃ
一応、ケイの善意によるものと解釈したのか、納得した様子でベネットは頷いた。
いやちょっと待てよケイ、でも剣と銀貨だけじゃ少なすぎないか?
そこで、横から口を挟んだのはアイリーンだ。
鎧とか、かさばるヤツはいらないと思うんだけどさ。矢とか生活物資とか、そこらへんのは貰っといた方がいいんじゃね?
…………
矢は、遺品回収の際にこっそりと質のいい物を選りすぐって補給はしていたが、生活物資に関してはその通りだった。
ぱちぱちと目を瞬いたケイが、困り顔でベネットを見やると、老獪な村長は思わずといった様子でくつくつと喉で笑う。
いやはや。そちらのお嬢様の方がしっかりとなされておりますな、ケイ殿
……うぅむ
しかしながら、お気持ちは分かり申した。代わりと言っては何ですがの、生活物資に関しては、こちらで工面しておきましょうぞ
……ありがたい
素直に、頭を下げる。ケイとしては、 剣と銀貨だけは頂戴いたす! とドヤ顔で言ってのけた直後だけに、地味に恥ずかしかったが仕方がない。
むっすりとした表情のケイが可笑しかったのか、アイリーンがからからと笑い始め、それに同調するようにして、ベネットも厭らしさのない含み笑いを洩らす。
笑いの波が引いたあと、そこには、静かな沈黙が訪れた。
……どうすっかなぁ、この後
ぽつりと、テーブルに頬杖をついたアイリーンが、小さく呟く。
それについてなんだが、アイリーン
その話題を待っていたと言わんばかりに、身を乗り出すケイ。
ウルヴァーンに行こうと思うんだ
……えっ、ウルヴァーンって存在すんの!?
思わず声を上げたアイリーンが、ベネットを見やって あ と自分の口を押さえる。ベネットはぴくりと眉を動かした以外は、特に反応を見せなかった。 存在する という言い方は、『こちら』の世界の住人には、少々妙な発言だったかもしれない。
村長。申し訳ないのだが、今一度、地図を見せて頂けないだろうか
よろしいですとも
ベネットに地図を取ってきてもらい、アイリーンに見せる。“タアフの村”、“城塞都市ウルヴァーン”、“港湾都市キテネ”などの位置情報を説明しつつ、それとなく『こちら』の地形がゲーム比10倍の広さになっていることなども伝えた。
へぇ……
指先で唇を撫でながら、興味深げに地図に見入るアイリーン。
俺としては、早ければ明日の朝にでも、ウルヴァーンに向かって出発したいと思うんだが。どうだ、アイリーン
興味をそそることには成功した。このまま押せば、アイリーンには事実を伏せたまま、村を早く出れるのではないか。
そう思ったケイだが、期待は裏切られる。
……ごめん、ケイ。実は、ちょっとな、
申し訳なさそうに、歯切れの悪いアイリーン。
―なんかさ、体に力が入らないんだよ
その言葉に、ケイは固まった。
結論から言うと、ケイたちはあと一、二日、村に留まることとなった。
原因は、アイリーンの体調不良だ。体に痛みもなく、意識もはっきりとしているアイリーンだが、毒の後遺症なのか、体力が回復しきっていないのか、酷く体が重く疲れやすい状態が続いているらしい。
出来れば、もうちょっと休んでからにしたい。このままじゃ、あんまりにも、ケイの足手まといだ……
そうか……
寝室でベッドに横たわり、表情に影を落とすアイリーン。
薄暗い部屋の中。アイリーンと二人きりになったケイは、迷う。
リビングから寝室にまで移動するのにも、アイリーンは壁に手をついて、ふらふらと力なく歩いていた。成る程これは重症だ、とひと目で分かる頼りなさ。現状、数歩も歩けばフラついてしまうアイリーンは、身体能力において一般人以下の状態といえる。ともすれば幼女(ジェシカ)とすらいい勝負だろう。
ケイは考える。サスケに二人乗りして移動する予定だったが、万が一、何者かと戦闘状態に陥った際は、アイリーンが自力で動けなければ困ったことになる。戦え、とまでは言わないが、少なくとも、逃げたり隠れたりできる程度には。
このままの状態で外へ連れ出すのは、少々リスクが高い。
勿論、村に留まったまま盗賊の逆襲を受けるくらいならば、逃げ出した方がまだマシではあるが。少なくとも幾ばくかの休養は必須。