(明日発つのは、どちらにせよ厳しい、か)
ふぅ、と一息ついたケイは、考えをまとめた。
―そう、だな
顔を上げ、朗らかな笑みを浮かべる。
まあ、ここ一日二日くらいは、様子を見ようか。丸一日寝込んでたから、体が弱ってるんだろう。ひょっとしたら、ポーションの副作用かもしれないし、ゆっくり食っちゃ寝してれば、すぐに良くなるさ
お、おう
唐突に、やたらポジティブなことを言い出したケイに、しばしアイリーンは目をぱちくりとさせたが、
……まあ、そうだよな! ゆっくり休んで、とっとと治しちまおう! よし、となればオレは寝るぜ、ケイ!
にひひ、と調子を合わせて笑顔になり、掛け布団を顔までずり上げた。
―今は、盗賊の件は、伏せておく。
ケイは、そう決めた。
襲撃の可能性は、ろくに身動きを取れない以上、今のアイリーンが悩んでも仕方のないことだ。いらぬ心労を抱えたままでは、治りも遅くなるだろう。
だから、今は、アイリーンには心配をさせないでおく。
建前の中に、独善を含んでいることは自覚しつつも、ケイはそう決めた。
(……まあ、今は体調を整えることに集中して貰わないと、な)
これからどうなるか分からん、と思いつつ、ケイはぽんぽんとアイリーンの頭を撫で、 さて、 と立ち上がる。
それじゃあ、俺はクローネンの家に戻ろう。……また明日、だな
うん。また明日
ランプの明かりを吹き消し、ドアのノブに手をかけたケイは、ふと思い出したかのように振り返る。
そういえば、アイリーン。この間は婆様が来たから聞きそびれたが、魔術に関してだ。こっちには触媒も持ってきてるよな?
ん? ……一応、こっちに来る前には、充分に使える量は持ってたぜ。ってか、ホントに魔術って使えんの?
俺に使えて、お前には使えないってこともないだろ
小さく肩をすくめたケイは、アイリーンを見つめて、
体調が回復したら、試してみると良い。充分に使える量って、大体どれくらいだ? 顕現 なら、何回ぐらい使える?
顕現 か、アレ消費デカいもんなー。触媒全部に魔力も使って、二回くらいが限界じゃね?
……そうか、まあ、そんなもんか
となると、 追跡 できるのも二回。ケイと合わせても三回。
(触媒は温存しといた方がいいか……)
逃げた盗賊を 追跡 しようにも、遺された大量の物資の中から、たった三回で当たりを引けるとも思えない。アイリーンの触媒は、ケイのエメラルドよりは入手しやすいが、小さな村で大量に工面できるものでもなかった。ここで賭けに出るよりは、手元に置いておいた方が良いだろう。
それにしても、何で急に触媒の話?
いや、これからウルヴァーンに行くにしても、ルートを考えないといけないからな。用意する物資について考えてたんだ、そのついでさ
小首を傾げるアイリーンに、半笑いで答えて誤魔化した。
……そっか
納得はしたのか、ふわぁ、と小さく欠伸をしつつ、仰向けから横向きになったアイリーンは、
おやすみ、……ケイ
……おやすみ。アイリーン
ぱたり、とドアを閉じ。
そのまま村長宅を辞去したケイは、クローネンの家に戻った。
クローネンたちとの挨拶もそこそこに、割り当てられた小さな部屋に引っ込んで、置いてあった鎖帷子を、静かに身にまとい始める。
(多分、今夜は大丈夫だと思うが……)
帷子の上からベルトを締め、次に革鎧を着込みながら、思考を巡らせた。
二人の盗賊が何処へ逃げたのかは分からないが、仮に本隊なり他の団員なりと合流し逆襲を仕掛けるにしても、たった一日では時間が足りないだろう。
そして、いくら早急に手勢を揃えられたとしても、連中が白昼堂々仕掛けてくるとは考えにくい。
早くて、明日の夜。
それ以降は時間が経てば経つほど危ない、というのが、ケイの考えだ。
(幸いなのは、村人が夜警を組んでることか……)
獣が出たとか出ないとかで、現在、タアフの村の住人は警戒態勢にある。男衆が火を焚き、交代で夜に見張りをやっているので、図らずも、夜襲に備えのある状態となっているのだ。
(だから、仮に夜襲を仕掛けられたとしても―)
ギュッ、と革の手袋の調子を確かめながら、ケイは暗闇を睨みつける。
(―村人が抵抗している間に、脱出できる)
包囲されたところで、暗闇はケイの味方だ。継続的な狙撃で包囲網に穴をあけ、他の村人を囮にすれば、逃亡は難しくない。
難しくはない―。
……。クソッ
陰鬱な気分を振り払うように頭を振ったケイは、ばさりとマントを羽織り、兜をかぶる。
腰に矢筒をつけ、弓を持てば、完全武装の戦士がそこにいた。
細く息を吐き出して、ケイは弓を抱えたまま、粗末な寝台にゆっくりと腰を下ろす。
ギシィィッ……とやや不安になる木材の軋みをやり過ごし、そっと壁に背を預けて、目を閉じた。
(…………)
静かだ。
(……そもそもが杞憂かも知れない)
とっぷりと暗闇に身を浸していると、ふと、そんな思いが頭をよぎる。瞼の裏に浮かぶのは、もはや随分と昔のことに感じられる、昨夜の戦闘だ。
(全員、殺したつもりだった)
手の内にこびりついた感触。一人残らず、矢を叩き込むか、剣で叩き切るかはしたはずだ。それこそ、確実に殺したと思えるほどに。今回逃げた二人も、運良く息があっただけのことだろう。重傷か、瀕死か―ロクでもない状態なのは、まず間違いない。
(草原にも、森にも、獣はいる。無事に逃げ切れるとは限らない……)
手負いで、移動手段もない人間が二人。血の匂いに惹かれてきた狼の群れにでも遭遇すれば、助かる見込みは限りなく低い。
(だから……何事も、なければ良い……)
徐々に。
思考が、有耶無耶になっていくのを感じる。
そのまま。
まどろみと覚醒を繰り返しながら、ケイは、
―
窓から差し込む薄明かりに、いつの間にか、自分が何事もなく一夜を明かしたことを悟った。
……来なかったか
安堵の溜息というには、少々重い。
疲労は蓄積しているが、さりとて今からひと眠りする気分にもなれない。ただ、外の空気が吸いたかった。だるさの抜け切らない体を引きずって、ケイは部屋から出る。
……早いな。どうしたんだ、その格好
外へ出ると、農具を手に抱えたクローネンに見咎められた。どんよりと、昏(くら)い目をした完全武装のケイに、何処となく及び腰な、訝しげな顔。
まだ日は昇り切っておらず、空は依然として薄暗い。にも拘らず既に仕事の準備とは、農民の朝は早い、ということか。