革鎧の各所、特に肩当てに取りつけられた特徴的な装飾が、エキゾチックな雰囲気を演出するのに一役買っている。これを外しただけでも、随分と質素な見かけになるだろう。
……あと、顔布もやめておけ、あれはあからさまに怪しい
そう、だな
顔布は戦闘においては、表情を読まれないという利点があったのだが、普通に旅する分には外しておいた方が良いかもしれない。
色々と考えることがあるな、とケイは小さく溜息をつく。それにしても、草原の民がここの住人に嫌われていたとは、ついぞ見当もつかなかったことだ。
ありがとう、マンデル。そこら辺の事情には疎くてな
そうだと思っていた。……気にするな
……。別に、出自を隠しているわけではないんだが、俺とアイリーンは、ちょっと事情が特殊でな。説明できないというより、し辛いんだ。すまない
いや、いい。……だから、気にするな
気取らない態度で、マンデルがひらひらと手を振った。
こんな見ず知らずの自分に、親切にも忠告してくれた思いやりが、痛い。
盗賊の件が、ちらりと脳裏をよぎった。ケイの心に、何とも言えない申し訳なさが募っていく。
暗く落ち込んだケイの顔を、憂いを帯びた表情でマンデルが見やる。
……そうだ、ケイ。ひとつ頼みたいことがあったんだ
ん、なんだ?
その弓。……触らせてもらえないか
ああ。お安い御用だ
興味津々な視線を向けるマンデルに、ケイは横からひょいと”竜鱗通し(ドラゴンスティンガー)“を手渡す。
受け取った瞬間にマンデルの手が、くんっと跳ね上がった。ほぅ、と小さく声を上げたマンデルは、その見た目を裏切る弓の軽さに目を丸くする。
そして、その軽さを裏切るほどに、
ぐっ……
固い。“竜鱗通し”を構えたマンデルが、一息に弦を引こうと試みた。軋みを上げる弓。胸元近くまで引き絞ったマンデルはしかし、顔を真っ赤にするもそれを維持しきれず、すぐに弦を元に戻す。
なんて張りだ。おれにはとても使えない。……指が千切れるかと思ったぞ
手袋もなしに使ってたら、指の肉がズタズタになるからな
弓を使って一番ダメージを受けるのは、弦を引く指だ。“竜鱗通し”の張力は、特に普通の弓のそれよりも強い。ゲームには痛覚が存在しなかったので、素手でも指の肉が削ぎ落ちるまで扱えていたが、現実だと痛みで使えた物ではないだろう。
しかし、この軽さでこの張力。表面の皮の質感も、見たことがない。……一体、何で出来てるんだこの弓は
それは疑問というよりはむしろ、感嘆の声。申し訳なさを押し殺し、無理に小さく笑みを浮かべたケイは、
古の樹巨人(エルダートレント)の腕木を骨組みに、飛竜(ワイバーン)の腱を使っている。表皮は飛竜の翼の皮膜だ
正直に答えた言葉に、一瞬、動きを止めたマンデルが手の中の弓を二度見した。
……
おっかなびっくり、といった様子で、ゆっくりとケイに”竜鱗通し”を返してくる。
……とんでもない代物だな
信じるのか?
ここでおれを担ぐ理由がないし、嘘と断じるには、この弓はあまりにも化け物じみている。……それに、
ふっと、マンデルの目が遠くなった。
―クラウゼ公が戦装束にしていた”竜鱗鎧《ドラゴンスケイルメイル》“と、この弓の表皮の色がそっくりだ
クラウゼ公って、……貴族だろ? 会ったことがあるのか?
いや、遠目に見たことがあるだけだ。……十年以上前の話さ
懐かしむような、それでいて何処か寂しげな。口の端に薄く笑みを浮かべたマンデルは、小さく肩をすくめた。
いや、それでもやっぱり、ケイは凄いな。その弓がどれほどの価値を持つのか、おれには見当もつかない。竜の朱き強弓を手にした、風の精霊を従える戦士、か。新月の宵闇から現れ、悪の盗賊団を征討し、麗しき少女の命を救う。……吟遊詩人が好みそうだ
まるでおとぎ話じゃないか、と、そう言ってマンデルは、静かに笑った。
―そんな立派なもんじゃない。
おとぎ話の主人公なら、そのまま悪の親玉まで倒してしまうのだろうが。
そうか、な
湧きあがる感情を押し殺し。
ケイは、引きつったような笑みを浮かべることしか、できなかった。
ちなみに、前々回登場したグリーンサラマンデルというモンスターですが、こいつのモデルはコモドドラゴン(コモドオオトカゲ)という爬虫類です。
作中のモンスター『森大蜥蜴』は、コモドドラゴンの見かけに、10tトラック並の大きさ、そしてあぜ道を走る軽トラくらいの機動力を持つとお考えください。
15. 村人
暑苦しいような、重苦しいような。
何とも形容しがたい、不快な感覚。
夢現(ゆめうつつ)のぼやけた頭のまま、アイリーンは『それ』を振り払う。ぶよん、としたものに手がブチ当たり、 んごぉッ と妙な声が聴こえた気がした。
……ん
薄く目を開くと、木の梁が剥き出しになった天井が見える。ああ、そうか、自分は眠っていたのだと。頭の中、流れていく状況認識。
ベッドの上、ゆっくりと上体を起こす。
むにゃむにゃ、と寝惚け眼のまま、部屋の中を見回した。
……お、お目覚めですか
そして緑のドアの前、額に脂汗を浮かべて畏まる小太りの男―ダニーと目が合う。
……。!?
眠気が吹き飛んだ。
―なぜ、コイツがここにいるのか。
寝室に、さほど親しくもない男が入り込んでいた、という事実。
例えそれが家主であったとしても。違和感を伴った気味の悪さ。
不意に、先ほど手にブチ当たった、ぶよんとした感触が甦る。
ぞわりと、背筋に悪寒が走った。
……
身体を守るようにシーツを掻き抱き、黙ったまま目つきを険しくするアイリーンに、さらに顔色を悪くしたダニーは ちょ、朝食の用意はできております と言ってそそくさと部屋から出て行った。
ばたんっ、と扉の閉まる音。
ほぼ同時、シーツをめくり、アイリーンは全身をぺたぺたと触って、何か異常はないか確かめた。
―大丈夫。
特に異変はない。
……何だったんだアイツ
思い出したように、両腕に鳥肌が立つ。
……きもっ
生理的な嫌悪感。寒気を堪えるように、両腕をさすった。
そわそわと、酷く落ち着かない気分になったアイリーンは、不安げに視線を彷徨わせ、窓の外を見やる。
森の緑が目に入り、少し平静を取り戻すとともに、ふと ケイに会いに行こうかな と思い立った。
ベッドから降りて、借り物の木靴を履く。木から削り出したシンプルなデザインのそれは、サイズが合ってないのでぶかぶかだったが、表面が滑らかに仕上げられているので履き心地は悪くない。
あの、脂ぎった男が居間にいたら嫌だったので、アイリーンは緑の扉は使わず、窓枠を乗り越えて直接外へ出た。