そして農作物の作付けを調整したり、価格が高騰しそうな物品を買いしめたり、流行り病を察知してあらかじめ薬を準備したり―そういったダニーの情報処理能力は、クローネンからすればもはや、異次元の領域であった。
“商人の家に生まれていればよかった”
ある日、ダニーがぽつりとこぼした言葉だ。ダニーには確かに、商才がある。それは、ただの田舎村の村長として使い潰すには少々惜しいと、クローネンも心底からそう思えるほどに、素晴らしい才能だ。
仮に、長男でなければ。あるいは、ベネットに教え込まれた、次期村長としての責任感がなければ。
ダニーは商人として独り立ちし、とっくの昔に村を去っていたかもしれない。しかし現実には、彼は彼なりに村のことを思って、タアフの地に留まっている。
タアフの村は、近隣の村に比べて、豊かだ。
質の良い農具に、酒や甘味などの嗜好品。いざという時のためには、様々な種類の薬も揃っているために、急な病気や怪我にも対応でき、村人を死なせずに済むことが多い。
物質的に、精神的に、ゆとりのある生活。しかしこの『豊かさ』は、その殆どがダニーの手によるものであることを、クローネンは知っている。彼が稼ぎだした金が、それらを買うのに充てられているところを、すぐ傍で目の当たりにしてきたからだ。
そしてベネットからダニーへ、代替わりを見守ってきた村の年寄たちも、それを分かっている。ベネットの代よりも、明らかに向上した生活水準。決してベネットが無能であったわけではない。ただ、『金を稼ぐ』という一点において、ダニーがベネットの追随を許さぬ才能を発揮しただけのこと。それらが分かっているだけに、ダニーの尊大な態度を受け入れ、彼が村長となることを支持しているのだ。
それだけの権利が、実績が、ダニーにはあると、認めているから。
……俺には、無理だ
クローネンは、ゆっくりと首を振る。
俺には、兄貴の代わりは務まらない
なんで!? あなたなら出来るわ、わたしも手伝うし、皆もあなたの方が良いって言ってるし―!
そういう問題じゃない
本当に、単純に、能力が足りていないのだ。いくらティナが手伝おうと、皆が協力してくれようと、それは埋めようのない差だった。
あるいは。
皆のまとめ役として、クローネンが形だけの村長として収まり、ダニーが裏方として働く、という形が構築できれば、それは理想的であるのかも知れない。
しかし、それはほぼ確実に実現しないだろうと、クローネンは思う。
なぜなら、ダニーは『村長になるために』、この村に留まっているからだ。幼い頃より次期村長として育てられたダニーは、『自分が村長になる』ということを、半ば当然と受け止めている節がある。それは責任感であり、ある種の諦念だ。その、『当然』という想いのみが、ダニーを村に縛り付けている。
それが無くなれば、果たして、どうなるか。
十中八九、ダニーは村を出るだろう。プライドの高い彼が、冴えない弟の陰で裏方に徹することなど、許容できる筈もないのだから。第一、村にしがみつかずとも、既に構築した人脈と自身の才能で、ダニーは商人として充分に食っていける。
村に残る理由が、見当たらなかった。
そしてダニーが出て行ったあとの村には、ただ頼りないクローネンだけが残される―。
薬も酒も、いずれは無くなる。農具は買い替えなければならない時が来る。
そのとき、新たにそれを調達するだけの金を、クローネンは捻出することができない。タアフの村は、再び近隣の村と同じ生活水準にまで、戻らざるを得なくなるだろう。決して貧しくはないが、豊かでもない。そんな暮らしに。
それは―極力、避けるべきだ。
だから、何度も言ってるだろう。お前が手伝ってくれたところで、どうにもならないんだ!
なんで……なんでそんなこと言うのよ! やってみなければわからないじゃない!
俺には分かるんだ! 俺とお前なんかが一緒に知恵を捻ったところで、兄貴の頭には敵わないんだよ!!
悔しげに顔を歪ませたティナに、クローネンはなんとも言えないもどかしさと、苛立ちを胸に募らせる。
おそらくティナは、自分の夫が、よりにもよって自分が最も嫌いな男に、劣っているのが嫌なのだ。そしてただ劣っているだけではなく、それを本人が認めていることが、どこまでも気に食わないのだろう。だからこうやって癇癪を起こす。
それが―クローネンには、どうしようもなく苛立たしい。
ティナも含めて、村の若い衆の多くは、ダニーの功績を理解できない。理解しようともしない。
尊大な態度。人使いが荒い。肉体労働をしない。
確かにそれらは欠点でもあるが、その上っ面だけに目をやって、中身を全く評価しようとしないのだ。
仮にクローネンが、いかにダニーが有能であるかを説明しても、彼らはただ感情に任せて、すぐさまそれを否定する。曰く、やれば自分たちにもできる。曰く、それほど大したことではない。根拠も経験も知識もなく、ただ感情に任せてそう言い張る。
何処までも幼稚で、救いようがないほどに無知だった。さしものクローネンも、嫌気が差す。
ともすれば、彼らをいつも馬鹿にしている、尊大な兄の心境が理解できてしまう程度には―。
……はぁ。もういい。この話は終わりだ
大きく溜息をついて、ひらひらと手を振ったクローネンは、有無を言わさぬ口調でそう言い切った。
―自分は、裏方に徹する。
クローネンは、そう心に決めている。村の自警団のまとめ役として皆の不満を受け止め、ダニーと村の若い衆の間を取り持つ、橋渡しの役目を果たすのだと。
それこそが、自分がこのタアフの村に一番貢献できる在り方であると、クローネンはそう考えている。
願わくば、最愛の妻くらいにはこれを理解してもらいたかったのだが、―不満たらたらの表情のティナを見て、クローネンは再び小さく溜息をつき、嫌な考えを振り払うように首を振った。
……ティナ。お前は兄貴が殺されても構わないと言ったがな。そもそも事を荒立てると、兄貴一人の命じゃ済まされない可能性もある。だから極力穏便に、謝り倒してでもやり過ごす必要があるんだ
そんなこと、分かんないじゃない!
『分からない』で済まされるか馬鹿! 仮に法外な賠償を要求されても、あのケイとかいう男に逆らえる奴はこの村にいないんだぞ!? あ(・)の(・)マンデルでさえだ! そうなったとき、お前に責任が取れるのか!?
……それは、
分かったなら黙ってろ。……姫さんには、俺から謝っておこう。兄貴は……いや、姫さんも会いたくはないだろうしな、向こうが望むなら謝らせるが……いずれにせよ、穏便に片付くことを祈るしかないか。ウチ以外に寝室に空きがある家、あったかな……