…………
ブツブツと額を押さえて考え込むクローネンを、ティナは、ただ恨みがましい目でじっと睨みつけていた。
が、ふっと、その視線がクローネンの背後へと逸れる。
……あ。戻ってきた
なに?
ティナの呟きに、クローネンはばっと後ろを振り返った。すると、村の入り口の方に、馬に跨ったケイとマンデルの姿。
帰ってきたのか……
こんなときに限って良いタイミングだ、と乾いた笑みを浮かべるクローネン。
ケイの隣に轡を並べるマンデルを見やり、続いてティナへちらりと視線を向けて、小さく溜息をついた。
―ティナも、マンデルを見習ってほしいもんだ。
しみじみと、そう思う。
ここらでは名の知れた弓と短剣の名手であり、かつて”戦役”では手柄を立てたマンデルは、村の中でも特に一目置かれた存在だ。
指折りの発言権と、タアフの皆に対する大きな影響力を持つ彼ではあるが、今のところ、クローネンではなくダニーが村長になることを支持している。
理由は、 ダニーの方が、より優秀であるから だ。
勿論、自分と比較して、の話ではあるが、クローネンはそれを気にするつもりはない。むしろ、マンデルのなんと理知的なことか、と感涙を禁じえないほどであった。
本来ならば、マ(・)ン(・)デ(・)ル(・)こ(・)そ(・)が(・)最(・)も(・)ダ(・)ニ(・)ー(・)を(・)憎(・)ん(・)で(・)い(・)る(・)筈(・)な(・)の(・)に(・)―そんな彼を差し置いて、ただ感情に振り回されるだけのティナには、爪の垢を煎じて飲ませてやりたいところだが。
(今はそれどころじゃない、か)
とりあえず。ケイの怒りを買わないように、細心の注意を払って謝罪しなければならない。
(……ああ。なんで俺だけ、こんな気苦労を……)
自分が決めたこととはいえ、なんともやり切れない思いを抱えたクローネンは、自分を落ち着かせるかのように静かに深呼吸。
……はぁ
そしてその日、何度目になるか分からない、小さな溜息をついた。
†††
村に戻ると、クローネンにいきなりその場で平伏されたので、ケイはかなり困惑した。
なんでも話によると、ダニーがアイリーンの寝込みを襲おうとしたらしい。
何……?
それを聞いたケイが、夜叉の形相に変貌するのを見て、アイリーンが 待て待てケイ! と慌てて話に割り込んでくる。
アイリーン曰く、別に襲われたわけではないようで、ただ目を覚ましたら部屋にダニーがいた、というだけの話らしい。
それはそれでどうかと思ったケイだが、アイリーンが気にしないと言うので、そこまで深刻に事態を捉えるのはやめにする。ただ、泊まる家は変えたいという要望にはこたえて、最終的にアイリーンとケイがそれぞれ家をチェンジすることとなった。ケイの代わりにアイリーンが来ると聞いて、ジェシカがはしゃいでいたのが印象的だった。
ベネット宅へと移ったケイは、アイリーンは気にしないと言ったものの、家で顔を合わせるたびにダニーへプレッシャーをかけ続けた。そのため、夕食時、シンシアが冷や汗を浮かべる程度に、緊張感のある空気になってしまったのはご愛嬌だ。
食後は、またぞろ部屋に引きこもって昨夜のように待機するつもりだったのだが、ベネット宅の寝台があまりに寝心地が良すぎて、完全武装であったにも関わらずケイはそのまま熟睡してしまった。幸いなことに、盗賊たちの夜襲はなかったのだが。
そして、翌朝。
クローネンの家の前、村人風のだぼだぼのズボンに、革のベストを羽織ったアイリーンが、 よっほっ と声を出して体を動かしていた。
どうだ? 調子は
傍で見守るケイの問いかけに、アイリーンは答えず、ただ小さく笑みを浮かべる。
たんっ、と。
地を蹴った助走。砂利ッ、という足音を置き去りにして、一陣の風が吹き抜ける。
踏み込み。側転。ロンダート。そこから繋がる連続のバク転。
ダンッ、とひと際大きな音を立てて、跳ね上がる身体。見上げるような跳躍。
あざやかな、後方伸身宙返り、三回捻り。
ぴたりと、その着地は、ブレることもなく。
ゆっくりと顔を上げたアイリーンは、にっと悪戯っ子のような笑みを浮かべ、
悪くないね!
そうか
うむ、と腕を組んで満足そうに頷くケイの横で、見守っていたクローネンとティナが、あんぐりと口を開け固まっていた。
わーおねーちゃんすごーい!!
へっへへーそーだろそーだろー
足元にじゃれついてくるジェシカに、得意げなアイリーン。キャッキャと楽しげなジェシカに応えるようにして、次々に宙返りやバク転などを披露する。
(この調子なら、もう大丈夫だな)
快復―と言っていい。これならば、万が一の事態に巻き込まれても、柔軟に対応できるはずだ、と確信した。
ケイは、出立を決意する。
その後、アイリーンがいなくなると聞いて泣き出したジェシカを宥めたり、ベネットから用意して貰った食料や生活物資を受け取ったりと。
なかなかに手間取ったが、日が高く昇り切る前に、ケイたちはなんとか出立の準備を終えた。
短い間だったが、村長、世話になったな
村はずれ。見送りに来たベネットたちに囲まれながら、ケイは背後の森を見やる。
ここから木立を抜け、小川に沿った道を東へと辿って行けば、サティナの街へ着く。目的地は城塞都市ウルヴァーンではあるが、安全のためにケイたちは街道を辿り、幾つかの街や村を経由していくことにしたのだ。
短い間だったが、楽しかったぞ、ケイ
ああ、マンデル、俺もだ
マンデルと握手を交わしながら、ケイは笑いかける。
いやはや、お名残り惜しいですのぅ
髭を撫でながら、至極残念そうな表情を浮かべるのはベネットだ。本当は、ケイたちがさっさと村を出て行ってくれるので、ほっと一安心しているところだが、そんな内心はおくびにも出さない。
本当に。こちらとしても後ろ髪をひかれる思いだよ
ケイも笑顔を張り付けたまま、それに答える。
それと、手紙の件は、ありがとうございます。よろしくお願い致しますぞ
なに、お安い御用だ
頭を下げるベネットに、ひらひらと手を振ってポシェットから封筒を取り出すケイ。
何でも、ベネットの娘はサティナの街の職人の家へ嫁いでいるらしく、ケイたちが街に寄るならば、ついでに手紙の配達を頼まれたのだ。本来ならば行商人に頼むらしいが、配達料を取られるとのことで、あわよくばそれを浮かせようという魂胆なのだろう。
確かに届けよう。サティナの街の、キスカ嬢でよかったな?