部下の衛兵からガラス瓶を受け取り、軽く振って内容物を確認した黒ひげが、興味深げにとろみのある青い液体を日の光にかざす。明らかに自然界には存在しないタイプの青色、『変なモノ』といえば確かにその通りだが―少々顔を引きつらせたケイは、
それは万能の治療薬だ。それなりに貴重なものだし、丁重に扱って欲しい。あと直射日光は極力避けてくれ、劣化する
……治療薬、ねえ。薬か……
ふン……、と再び胡散臭げな表情に戻り、黒ひげがじろりとケイを見やった。
(素直にポーションだと言ってもいいが……)
ケイは考える。『こちら』の世界では DEMONDAL のゲーム内よりも、ポーションの希少性が更に上がっているらしかった。これは正真正銘ハイポーションであり、ケイにやましいことは何一つとして無いのだが、ここで素直に教えてしまうと、のちのち厄介なことに巻き込まれる気がしてならない。
(……ええい、これは治療薬だ! 俺は嘘は言っていないぞ!)
開き直ったケイは、しっかりと背筋を伸ばし、 そうだ、ただの治療薬だ と断言した。
ふン、そうか……
しばし、ケイとポーションを訝しげに見比べていた黒ひげだったが、何を思ったのか、片手の書類を傍らの簡易机の上に置き、おもむろに瓶のコルク栓を引き抜いた。 あっ と声を上げ、思わず身を乗り出すケイとアイリーン。それをよそに、すんすんと鼻をひくつかせて、その匂いを確かめる。
…………
しばしの逡巡。
おいやめろ、と無意識に呟くケイ、そしてそれを無視するように、黒ひげは瓶を傾けて、クイッと一口。
(おいいぃぃオッサンンンンッッ!!!)
(生命線があああぁぁぁァァッッ!!!)
のおおおおおと声にならない抗議の声、
ブフゥォ何だコレ不味ゥ!?
そして盛大にそれを噴き出した黒ひげが、あまりの不味さに身体を仰け反らせる。その勢いでこぼれそうになり表面張力の限界に挑むポーション、それを見て うわぁ! と悲鳴を上げるケイとアイリーン。
隊長!?
大丈夫ですか!?
それ毒か何かなんじゃ……
いっいや大丈夫だがッ味ッ、味ィッ! オェェッ!
えずいた黒ひげが身体をくの字に曲げ、その手の中の瓶が再び危うい角度に傾く。 あああッ! とさらに悲鳴を上げるアイリーン、 まず蓋閉めろ! と怒鳴りながら貴重な魔法薬を無駄遣いされたことに殺意を覚えるケイ。
……っあー、『良薬は口に苦し』とは言うが、ンふッ、これはまたとんでもない不味さだな
しばらくして口の中が落ち着いたのか、げっそりとした表情の黒ひげは、コルクで瓶に蓋をしつつ頭を振った。未だ怒り冷めやらぬケイは、乱暴にその手から瓶を奪い取り、後生大事に荷物袋に仕舞い込む。一口分無くなってしまったが、ひとまずは無事に返ってきたポーションに、ほっと胸を撫でおろすアイリーン。
……少なくとも、これは麻薬ではないな。何かしらの薬、ってのは本当だろうが……全く、病人だか何だか知らんが、それを飲まされるヤツは相当に不幸だな……まぁいい。
よし、とっとと鑑札の発行済ませるぞ
……いいんすか?
いいんだよ。少し口に含んだだけだが、異様に不味かっただけで、あとは特に異常もなかったしな
若い衛兵の問いかけに、肩をすくめた黒ひげは それに、 と言葉を続ける。
仮に得体の知れない新種の麻薬だったとしても、規則に定められた麻薬(ヤク)の一覧にコレは入っていない。一覧に入っていない以上、俺達にはこれを取り締まる義務はなく、逆に権利もないって寸法だ……。
さて、待たせたな。手続きを終わらせるぞ……ちゃんと金は持ってるんだろうな?
互いに、何処かうんざりしたような雰囲気で、鑑札の発行手続きは始まった。
サスケと他の馬三頭分の税金に鑑札の発行代金、合わせて銅貨45枚を支払い、帳簿にサインをし、さらにしばし待たされてから、ケイたちはようやく一週間有効な鑑札を手に入れる。
ケイたちが手綱を引いて門を潜り抜けたとき、サティナの街に到着してから、すでに二時間半が経過しようとしていた。
†††
夕暮れ。
サティナ市内北東部、商人街の一角で宿を取ったケイたちは、宿屋一階の酒場で席についていた。
結局、宿屋を探している間に、日が暮れてしまった。
宿を取る、と一言で言えば簡単だが、実際に探してみると、これがなかなか難しい。ネックになったのは、やはりケイたちが連れている四頭の馬だ。商人と職人の街だけあって、サティナには至るところに宿屋があったが、清潔さ、治安の良さ、そして余裕のある厩舎、その全てが揃った宿となると、流石に限られていた。
さっさと宿を取り、その後は手紙の配達、次にアイリーンのために防具屋を物色―などと考えていたケイであったが、実際のところそんな余裕はなかった。街中で野宿するわけにもいかず、必死で探し回った結果、少し割高な宿を取る羽目になってしまったが、まあ致し方があるまいとケイは考える。
何はともあれ、無事に宿が取れたことを祝して……
カンパーイっ
向かい合わせのテーブル。いぇーい、と笑顔を浮かべたケイとアイリーンは、なみなみとエールの注がれた木のジョッキをこつんっと打ち鳴らした。
ぐび、ぐびっ、と。
エールを喉に流し込み、ジョッキを置いた二人は、 う~ん と何とも微妙な表情を浮かべる。
冷えてないな……
冷えてねェな……
ぬるい。ぬるいのだ。酒場の空気よりはひんやりとしているが、決して冷たくはない。爽快感皆無の喉越し。
……ま、当たり前か
何を期待してたんだろうな、オレたちは……
小さく肩をすくめるケイ、真顔で遠い目をするアイリーン。この世界には、冷蔵庫など存在しない。せいぜいが、ひんやり涼しめな地下室があるくらいのものだ。
あるいは、熱系統に強い高位の魔術師がいれば話は別かもしれないが―今のケイたちには、望むべくもない。
……ケイの『シーヴ』で何とかならない?
たかがエール冷やすのに幾ら使うつもりだ
若干の期待を込めてこちらを見るアイリーンに、ケイは呆れ顔で首のチェーンをちゃらちゃらと鳴らして見せる。魔術を行使するための触媒、大粒のエメラルドは、今持っている一つで最後だ。そもそも複数あったところで、こんなことに使うのは論外だが。
しかしシーヴで冷やすのはちょっと厳しいぞ、『分子の動きを止めて空気を冷却しろ』なんざ、精霊語(エスペラント)でどう言えばいいのか見当もつかん
う~ん。難しいな……
あと仮に言えたところで、精霊が理解するかどうかは別問題だしな……
たしかに……残念、無理か
そんなことを話していると、ケイたちのテーブルにトレイを抱えた給仕の娘がやってきた。