矢だけ作っていても、やっぱり食っていけませんからね。……最近では、どっちが本業か分からない始末ですが
これは、触っても?
もちろん、どうぞ
許可を得て、壁の隅に掛けられていた、シンプルな拵えの一本に手を伸ばす。
ほう……
手に取った瞬間、すぐにそれと分かる高品質。
しっかりとした密度の木材は、頑丈さの証。十分なしなりは、折れにくさを保証する。細く鋭く、返しの付いた矢じりは、一度獲物に突き刺さればなかなか抜けにくい。滑らかに磨き上げられた表面は摩擦を軽減し、放たれる際には威力を殺さず、また矢本体が獲物の肉に深く突き刺さり易くする。先端と末端の理想的な重心のバランス、これは矢が飛ぶときのブレを最小限に抑えるものだ。白い矢羽から覗き込むように見上げると、曲がらず、一寸のブレなく、真っ直ぐに矢が伸びているのが見て取れた。
これは……良い矢だ
思わず洩れる感嘆の声。
弘法筆を選ばず―とは言うが、弓使いは少なくとも矢を選ぶ。
弓の個性、引きの強弱や若干の歪みには慣れで対応できても、命中精度に直結する矢は、そうも言っていられないからだ。真っ直ぐに飛ぶか、あるいは、風に流されるにしても、『自分が思い描いた通りに風に乗る』ことが矢には要求される。
その点、ケイが手に取った矢は、理想的なものだった。使われている材料、加工の技術、どちらも共に申し分がない。
お気に召したようで、何よりです。ケイさんは、弓が専門なのですね?
ははっ、やっぱり分かるかな
街中ということもあって、ケイは鎧を着けずに軽装のままでいるが、腰には長剣と、布ケースに入れた”竜鱗通し(ドラゴンスティンガー)“を下げている。街での重要度が低い弓をわざわざ携帯している時点で、それがケイにとって大事であることを喧伝しているようなものだ。考えずとも、ひと目で弓使いだと予想できる。
弓を持たれていたので、そうではないかと思っていましたが。最初にその矢を手に取られたので、確信しましたね。本業の方は必ず、まず最初にその一本をチェックされるんです
そう言われてみれば、確かにケイが手にした一本は、陳列された矢の中で最も実用的なものだった。他の矢は、勿論品質は充分なのだろうが、どちらかというと装飾を重視しているきらいがあり、使い勝手の面でケイの好みではない。成る程、本業の弓使いであれば、自然とこの一本に惹かれようというものだ。
こう言うと語弊があるが、やはり多くの弓使いがこの矢を買っていくのだろうか?
そうですね、近隣の村の狩人や、知り合いの傭兵たちは……。タアフ村の猟師の方も、以前来られた際に、十数本お買い上げになられましたよ
タアフ村……マンデルか?
ご存知でしたか。そうです、マンデルさんです
そうか、マンデルも……
ほぉ、と感心したような声。ケイの中でモンタンの評価が更に上がる。
……
じっくりと手の中の矢を観察するケイに、黙ってそれを見守るモンタン。正直なところ、ここまでくればモンタンのペースだったが、それに乗せられるのも悪くない、と思うケイであった。
……ちなみに、お値段は?
にやりと笑みを浮かべたケイの問いかけに、モンタンも笑顔で返す。
十本セットで、銅貨六十枚です
ほう
一本で銅貨六枚。相場は高くても銅貨二枚、安ければ小銅貨五枚ほどでも取引されることを考えれば、かなり吹っ掛けた値段だ。勿論、稀に見るレベルの高品質であることも加味すれば、ある程度高値でも納得は出来るが。
ただし、三十本お買い上げ頂いた場合は、革製の矢筒もお付けいたします。……ケイさんは、馬には乗られますか?
ああ。騎射は得意だ
そうですか、それはちょうど良かった
そう言いながら、モンタンは近くの戸棚から、ずるりと大型の矢筒を取り出した。
これです。私の作成した普通サイズの矢であれば、四十五本まで入ります。必要ならば、馬の鞍へ取り付けることもできますよ。私の知人が作成したもので、頑丈さは折り紙つきです
ほうほう
それもまた、手に取って確認する。縫い目がしっかりとしており、モンタンの言葉通り頑丈そうだ。ミカヅキの皮の加工はこの職人に頼むか、と考えたケイは、
―よし、買おう。三十本で頼む
おお、ありがとうございます
全く迷いのないケイに、少し驚きつつモンタンは頭を下げる。
ところで、この矢筒を作った職人を紹介してもらうことは可能だろうか
ええ、知人ですので。……何かご入り用で?
うむ、実は馬の尻の皮があるんだが、思い入れのある品なので、腕のいい職人に加工してもらいたいんだ
なるほど。そういうことでしたら、是非はありません。後ほどご紹介いたしましょう
ありがとう
商談が成立したところで、矢の在庫を取りにモンタンが奥の部屋へ行こうとするが、そこでケイが呼びとめる。
すまない。もうひとつ、聞きたいことがあるんだが
何でしょう?
先ほど、『普通サイズの矢』と言っていたが、これよりも長い、大きめのサイズの矢はあるのだろうか
長い矢、ですか
ああ。というのも、これを見てほしい
布ケースから、弦を取り外した状態の”竜鱗通し”を取り出す。弦を外したとき、複合弓は逆向きに反り返ってCの字になるので、実際よりも少しコンパクトに見える。しかしケイが弦を張り直すと、“竜鱗通し”の全貌を見たモンタンが眉をひそめた。
……大きめの弓ですね。矢の長さが足りないのでしょうか
流石は職人だけあって、ひと目でケイの言わんとすることに気付く。
足りない、というわけではないんだ。この弓は張りが特に強いから、普通に使う分には普通の矢でも問題ない。だが仮に、この弓のポテンシャルを最大限に発揮しようとすれば―
―弦をもっと引く必要がある、と
言葉を引き継いで、ふむふむと頷くモンタン。
その弓、触らせて頂いても?
ああ
ケイが”竜鱗通し”を手渡すと、受け取った瞬間にモンタンの手がカクンッと跳ね上がった。 うおっ と驚きの声、マンデルの時と同様に、その見た目を裏切る軽さに意表を突かれたのだろう。
随分と軽い弓ですね……って、なんだコレ堅っ!?
弦を引いてみようと、手を掛けたモンタンの顔が驚愕に歪んだ。
言っただろう、その弓は張りが強い
ドヤ顔のケイをよそに、どうにか弦を引っ張ってみせようとするモンタンは、顔を真っ赤にして ぐ、ぬ、ぬ…… と唸り声を上げる。
しばらく生温かくそれを見守っていたケイだったが、意外と負けず嫌いなのか、いつまで経っても止めようとしないモンタンに、流石に心配になってストップをかけた。
……無理はしない方が良い、特に素手では。下手すると指がダメになる