くそっ、なんて弓だ……!
結局、肘を少し過ぎたあたりまでしか引けなかったモンタンは、 イテテ…… と右手を振りながら悔しそうにしている。
……これはまた、凄い弓ですね。私も仕事柄、弓の扱いはある程度心得ているのですが……ここまで歯が立たない弓は初めてです。失礼を承知でお尋ねしますが、ケイさんはこれを、実戦で使われているんですよね?
何処か疑わしげなモンタンに、不敵な笑みを見せたケイは、ぐっと”竜鱗通し”を耳のあたりまで引いて見せた。
すっ、凄いっ、そんなにも軽々と……!
目を見開き、唖然とするモンタン。その清々しいまでの驚きように、ケイのドヤ顔は留まるところを知らない。
いやはや……しかし、事情はよく分かりました! 大きめのサイズの矢ですが、幾つか心当たりがあるので少々お待ち下さい
心なしか鼻息を荒くしたモンタンは、ケイの返事も待たずに奥の部屋へとすっ飛んで行く。バタバタ、ガタガタと棚や引き出しを漁る音、しばらくして大量の矢束と共に、きらきらと顔を輝かせたモンタンが帰ってきた。
お待たせしました! 実は私、新しいタイプの矢も色々と研究しているのですが、いくつかの試作品も一緒にお持ちしました
ほう、それはそれは
まずは、大きめのサイズの矢です。元々はロングボウのために仕立てたものですが、その弓にはちょうど良いかと
手渡されたのは、今使っているものよりも長めの、青染め羽がついた矢だ。試しに弓につがえてみると、ちょうど耳のあたりまで引くことができた。ギリギリと、両腕にかかる負荷に全身が軋む。耳元まで引いたまま維持するのはケイでも辛く、この矢で悠長に狙いをつける余裕は流石になさそうだった。―ただしその分、かなりの威力が期待できる。
これも悪くない。ただ贅沢を言うなら、矢じりがもう少し細い方が好みだな。打撃力よりも貫通力を重視したい
細めですか……例えば、こんな感じでしょうか
ああそうだな、その矢じりは良い感じだ
幸い、替えがあります。お時間さえ頂ければ、交換致しますが?
素晴らしい、お願いしよう。……ちなみに、交換料は?
サービスでございます
慇懃に頭を下げてみせるモンタン。二人で顔を見合わせて笑いあう。この時点で、両者ともにかなりノリノリであった。
よし、この長矢も買おう。在庫は?
その一本を含めて十二本ですね
買った。全部だ
ありがとうございます
……それで、他は? これで終わりじゃないんだろう?
もちろんですとも。次にお見せしたいのはこちらになります
モンタンが差し出したのは、先ほどの長矢ほどではないが、少し長めの赤羽の矢だった。特筆すべきは、その太さだ。普通の矢よりもひと回りほど太い。また、矢じりは特徴的な円錐形でいくつもの穴が開けられており、その形はどこか注射針を連想させた。
これは……中が空洞になっているのか
はい。これは大型の獣狩りを想定した矢になります。矢じりに開けられた穴は、矢の中の空洞を通じて、末端の穴まで繋がっています
……成る程、刺さりっ放しでも出血を強いる仕組みか!
ご明察です。効果のほどは言わずもがなでしょう。ただ、中が空洞なせいで体積の割に軽く、風に流されやすい上、通常の弓ではあまり威力が出ないという欠点があるのですが……その弓ならば、と思いまして
面白い。何本ある?
試作品ですので、三本ほど
買った。三本ともだ
ありがとうございます。続きましては、こちらの矢を―
流れるような所作で、次々と矢を取り出すモンタン、 面白い! 買った! とその場の勢いで次々に買い取るケイ。二人揃って徐々にテンションを上げ、試作品の即売会はさらにヒートアップしていく。
やーねぇ、ウチの人ったらまた悪い癖が……
とうの昔に手紙を読み終えていたキスカが、頬に手を当てて溜息をつく。
あ、ああ……
その隣、キスカの言葉に曖昧に頷いたアイリーンは、引きつった笑みを浮かべていた。
最初の長矢や出血矢はともかく、そのあとの試作品はどう考えても金の無駄だ。例えば、今披露されているメロディが切り替わる鏑矢などには、明らかに実用性がない。
(あまり、お金の無駄遣いはしない方が……)
今後のことも考えると、そう忠告したいアイリーンであったが、そもそも支払いに使われている銀貨は、ケイがこの世界に来てから盗賊やらと戦って獲得したものだ。その使い道に、アイリーンが口を出す権利はない。
(それに、普段は滅多に衝動買いなんてしないもんな……)
これほどまでに、ケイが勢いで物を買うのは珍しい。
(ひょっとして、ストレスが溜まってんのかな……)
そう考えると、もはや、アイリーンには何も言えなかった。
ママー、おなか空いたー
と、そのとき、アイリーンの後ろから子供の声。
振り返れば、十歳ほどの可愛らしい少女が、奥の部屋から顔を出している。
あら、リリー。もう帰ってきたの?
うん! 今日は、いつもより早くおわったの
キスカの問いかけに、『リリー』と呼ばれたその少女は、元気に頷いた。
えーと……?
ああ。うちの娘のリリーです
小首を傾げるアイリーンに、キスカが お客さんよ、ご挨拶なさい とリリーを促す。
はじめまして、リリーです。十さいです
ぺこりと、一礼してリリー。子供好きのアイリーンは、その可愛らしいお辞儀に思わず微笑んだ。
初めまして。アイリーンっていうんだ、よろしくね
リリーの目線までしゃがみこみ、優しげな口調で言ったアイリーンに、リリーもはにかんだ笑みを浮かべる。
続いてご紹介したいのはこの矢です!
何だこれは! 随分と複雑な機構だが……
ふふふ、これこそが私の自信作、『一本で多人数を制圧すること』を想定した矢になります!
何だって!? いったいどんな仕組みが―
そんなアイリーンたちをよそに、ケイとモンタンは大盛り上がりだ。
……一度ああなっちゃうと、ウチの人ってば長いのよねぇ。リリー、そろそろおやつにしましょうか。アイリーンさん、もしよかったら奥で一緒にお茶でもいかが?
うん。喜んで……
キスカの提案に、アイリーンは苦笑しながら頷く。
―結局、趣味人たちの熱い狂宴は、そのまま日が暮れるまで続いた。
†††
サティナ北西部、スラム。
壁の外、街から伸びる下水道に、しがみつくようにして広がるこの貧民街は、壁の内側に入れない無法者や、被差別民たちの巣窟だ。
下水道―石板で囲まれ蓋をされているとはいえ、臭いまでは完全に防げない。吐き気を催すような悪臭、隙間から漏れ出る汚水、極めて不衛生な悪環境。