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大変だった……まったく、在庫が20本しかないのに、30本も装飾矢を納入なんて無茶な話だよ。装飾をたった一日で10本も仕上げたのは、生まれて初めてだな……

何とか間に合ってホントに良かったわ。ビューロー家は大得意様だし……

でも次からは、せめて二日は余裕見てもらいたいよね。心臓に悪い……

パパもママもおつかれさま!

死人のように脱力しきった二人に、リリーは努めて明るい声をかける。

あー。ほんとに疲れたわー、こんなに働いたのいつぶりかしら……。あら、もうすっかり暗くなっちゃったのね。リリーごめんね、今からママご飯の用意するから。もうちょっと待っててね

いやキスカ、しなくていいよ。今日は久々に、みんなで外に食べに行こう

ぱんぱん、と服に付いた木屑をはたき落としながら、表情を明るくしたモンタンが椅子から立ち上がった。

せっかくだから豪勢に、『ミランダ』なんてどうだい?

えっ、パパほんと!?

アナタ、いいの!?

モンタンの提案に、驚いたリリーとキスカの言葉が重なる。

レストラン『ミランダ』といえば、サティナの街では五本指に入る最高級の店だ。庶民が出入りできる店、と限定すれば、街で一番のレストランと言ってもいい。シェフの腕前は掛け値なしの一級、その味は貴族の舌をも唸らせ、現にサティナの領主の係累も、お忍びで度々訪れていると専らの噂だ。

そして当然のように、『ミランダ』の料理は、庶民からすれば目玉が飛び出るほどに高い。

しかしモンタンは、妻と娘を安心させるように、

ああ、構わないさ。今日の仕事でかなり稼げたし、昨日ケイさんが矢の試作品をあらかた買い取ってくれたからね。懐にはかなり余裕があるんだ

火打石でランプに火を灯しながら、ほくほく笑顔のモンタン。

……そうね、たまには贅沢もいいかもしれないわ

わーい、やったー! パパありがとー!!

はっはっは、いやぁケイさんの腰のケースを見て、弓使いだとはすぐに分かったけど、あそこまで金払いが良い人だとは思わなかったなぁ。ホント、中まで入って貰って正解だったよ

ランプの仄かな明かりの中、モンタンは悪戯っ子のようにぺろりと舌を出して見せる。妻に故郷の話を聞かせてやってほしい、という建前でケイを工房に招いたものの、結局のところ、タアフ村の話など全くしていないのだ。

さあ、そうと決まればおめかししないとね! 流石にこんな格好でミランダには行けないよ

わたしも着替えてくるわ。もちろん、リリーもオシャレしないとね!

やったー、オシャレするー!

キャッキャと嬉しそうなリリーの姿に、先ほどの疲れも吹き飛んだ様子で、モンタンとキスカの足取りも軽い。

濡らした布で身体を拭き清め、髪型を整えるなどして身繕いし、モンタンは重要な取引で大商人相手に着る一張羅を、キスカは庶民でも分不相応にならない程度のシンプルなドレスで着飾る。リリーは可愛らしいエプロンドレスを着せてもらい、髪には赤いリボンをつけて大はしゃぎしていた。

それじゃあ二人とも、忘れ物はないね

ないわよ

だいじょうぶー!

ランプを片手に、懐へ銀貨の入った巾着を仕舞い、護身用の小刀を持ったモンタンが、厳重に家の扉に鍵をかける。

隣家の住人に出掛ける旨を伝え、留守の家に注意を払ってもらうよう頼み、モンタンたちは意気揚々と夕焼けに染まる道を歩き出した。

職人街から南、高級市街へと向かう。

さぁて、何を食べようかな

今日のメニューは何かしらね

わたし、ビーフシチューが食べたーい!

親子三人、リリーを真ん中にして手を繋ぎ、仲良く大通りを歩いていく。

先ほどまで寂しげに感じられた夕暮れの街が、一転、どこか優しげに微笑んでいるかのようだ。

滅多にない豪勢な食事に期待を膨らませ、弾むような足取りのリリー。

調子を合わせて自らもはしゃぎつつ、その姿を愛おしげに見守るキスカ。

そして、そんな愛する妻と娘に、慈しむような笑みを向けるモンタン。

―おだやかで、あたたかな家族の団らんが、そこにはあった。

その姿はきらきらと眩しく、微笑ましく。

日の暮れた、薄明かりの中にあってさえ。

まるで、本当に、輝いているかのようで。

それを。

大通りの、はるか彼方より。

呆然と。

あるいは、悄然と。

薄闇の中に身を置いて、じっとりと見つめる男の姿があった。

―ボリスだ。

…………

今しがた、寿命を削る思いで検問を突破したばかりの、懐に金属製のケースを潜めたボリスは、食い入るようにモンタンたちの後ろ姿を見つめていた。

ぎりぎりと。

軋み、響いたのは、何の音。

……くっ、

込み上げる言葉を呑み込んで。

ボリスはくるりと踵を返し、薄汚れた路地を走る。

ひた走る。

辿り着いたのは、裏町の寂れた小さな酒場。

……エール

いつものように、カウンターの席にどっかと腰を下ろし、ぶっきらぼうに注文した。

ごん、と目の前にジョッキが置かれるや否や、乱暴にそれをつかみ取って、ごくごくと不味いエールを飲み下した。

腹の奥底で。

ぐるぐると回る、煮え滾るように熱い。

燃えるような、どろどろとした何か。

―よう、兄弟。良い呑みっぷりだな

と、二杯目のエールを頼もうとしたところで、隣の席に痩せた男が腰を下ろす。

……あんたか

いつもの男だった。陰気な顔をしたボリスは、いつものように、カウンターの下で金属のケースを手渡す。

ハハッどうした、随分とシケた面じゃねえか

そう笑いつつ、男がすっとボリスの前に革袋を置いた。馴れ馴れしい様子の男を半ば無視するように、ボリスは黙って袋の中身を確認する。

いつもより軽い。中を見ると、鈍い銅と、僅かに銀の輝き。

だがよくよく確認すれば、それは銀貨ではなく、ただの小銀貨であった。

…………

やはり合計すると、銀貨一枚には、ギリギリ満たない。

そんな量。

どうした、それだけじゃ不満って顔だな?

耳元で、意地の悪い声。はっとして横を見やれば、痩せた男がニヤニヤと陰険な笑みを浮かべていた。

そっ、そんなことは、

誤魔化すようにエールのジョッキを手に取り、しかしすぐにそれが空であることに気付く。

……そんなことは、ねえよ……

俯いて、小さく呟いたボリスであったが、そのジョッキを握る手が、力のこもる余り白くなっているのを、隣の男は見逃さなかった。

ふっ、と薄い笑みを浮かべた男は、指先でとんとん、とカウンターを叩く。

ちゃりん、と銅貨が数枚、ボリスの前に置かれた。

―付いてきな、ボリス