そんな―セピア色に彩られた記憶。
身なりは汚く髪はぼさぼさで、目つきもすっかり悪くなってしまったボリスに、当時の面影はない。だが、だからこそリリーの幼心にも、 おじちゃんも大変なんだろうな という、おぼろげな同情心のようなものがあった。
いや、な。実はな
声をひそめたボリスは周囲の視線を気にするように、リリーの目線までしゃがみ込んで、懐から小さな革袋を取り出して見せる。
ちゃら、と。
金属の擦れ合う音。
実はな―モンタンにそろそろ、お金を返しに行こうと思うんだ
えっ、ホントっ!?
ボリスの言葉に、リリーの表情がぱっと明るくなった。
ああ。実は最近、ようやく仕事が上手く行きそうなんだよ
わあ、すごいすごい! 良かったね、おじちゃん!
ありがとうよ。今までは、モンタンに世話になりっ放しだったからな……そろそろ、恩を返さないと
革袋を懐に仕舞いつつ―ニィッ、と笑う。
きっと、パパも喜ぶよ! ……おじちゃんは、何のおしごとをしてるの?
ははっ……、それはヒミツさ
ぱちりとウィンクをしたボリスは、 ところで、 とリリーを見下ろした。
リリーはこれから何処に行くんだい?
わたしは、今から塾にいくの!
塾か。リリーはお勉強頑張ってるんだな。……しかしその塾ってぇのは、どこでやってるんだい?
高級市街の、コーンウェルさんのお屋敷だよ!
なるほどねえ。それで、夕方くらいまでお勉強なんだろう?
うん! だいたい、夕方の四時くらいにはおわるけど
へえ! そいつぁ凄い、俺だったらそんなに長い間、机に座ってじっとしてられねえや。……いつも塾には、一人で行ってるのかい?
うん。最初の頃は、パパかママが送ってくれてたけど、わたしはもうおとなだから、一人で大丈夫なの!
ははっ、偉いなぁ。リリーもすっかり大きくなったんだな!
えっへんと胸を張るリリーに、すっと目を細めるボリス。
よし、それじゃ頑張っているリリーに、
ごそごそとズボンのポケットを探り、 ほら、 とボリスが右手を差し出した。
ご褒美を上げよう。飴ちゃんだよ
わあー、おじちゃんありがとう!
小さな飴玉の包み紙を受け取り、飛び跳ねて喜ぶリリー。
さぁて、というわけで、俺はそろそろ行くよ。リリーもお勉強頑張ってな
うん! おじちゃんも、おしごと頑張ってね!
ああ―
背を向けて歩き出していたボリスは、にっこりと振り返った。
―頑張るよ。それじゃあ、またな
またねー!!
雑踏に消えるボリスの背中を見送って、リリーも意気揚々と塾へ向かう。
歩きながら、飴玉の包み紙を開けた。琥珀色の、丸い飴玉。さっそく口の中に放り込むと、蜂蜜の芳醇な香りとまろやかな甘みが、いっぱいに広がった。
……ふふっ
飴を舌の上で転がしながら、リリーは楽しそうに微笑む。元々軽やかだった足取りが、今ではまるでスキップのようだ。
嬉しかった。
ボリスがまた、昔のように戻ったことが。
(これでパパも、おじちゃんのこと見直すかな)
まるで自分のことのように、誇らしくて。
リリーは信じていた。
再び、ボリスとモンタンが仲良く出来る日が来る、と。
全てが幸せな方向へ向かっていると―
その時リリーは、信じていたのだ。
†††
高い! 銀貨30枚はぼったくりだろ!?
いーや、これ以上びた一文負からねえ!!
サティナ北東部の川沿い、街の外の船着き場にて、ケイは船頭と言い争っていた。
下流の町”ユーリア”までだぞ! ウルヴァーンまでなら兎も角、川の流れに乗っていくだけなのに何でこんなに高いんだ!
バッキャロー! 馬四頭も乗っけたら、どんだけ場所取ると思ってんだ!! こちとら乗せる品物は山ほどあんだよ、貰うもんは貰わねーと採算が合わねえ!!
だからって銀30は吹っ掛けすぎだろ! なんだ、アンタらは金銀財宝でも運ぶつもりなのか!?
そんな割の良いもん運びたくても運べねーよ!! 普通に資材やら家具やら積んでりゃ、銀30くらいすぐにならぁ!!
口角泡を飛ばす勢いで、額を突き合わせ騒ぎ立てる二人。ケイに胡乱な視線を向けつつ船に資材を積み込みこんでいく船乗りたち、 あーあー という顔でオロオロと見守るアイリーン。
あーわかった! もう結構だ! 悪いが他を当たらせてもらうッ!
こちとらテメェみたいなのは願い下げだ! とっとと行った行ったァッ!
しばらくして、交渉決裂というよりもケンカ別れに終わったケイは、シッシッと手を振る船頭に背を向けて、のしのしと歩き出す。
クソッ不愉快だッ、どいつもこいつも吹っ掛けてきやがる!
足元見てるよなぁ、これで三人目か……
肩を怒らせるケイの横、アイリーンが小さく溜息をついた。
ことの発端は、『ウルヴァーンには船でも行ける』という情報だった。
昨日、旧市街で武具を叩き売ったあと、ケイたちはウルヴァーンへ向かう隊商に合流すべく、護衛の仕事を探すことにした。
タアフからの道中で草原の民の襲撃を受けたことで、このまま二人旅を続けるのは危険だと判断したためだ。隊商やその護衛の戦士たちと共に移動すれば、襲撃される可能性をぐっと減らすことができる。
しかし。
結論から言えば、ケイたちは護衛の仕事はおろか、被護衛対象として金を払ってすら、隊商に加えてもらうことができなかった。
何故か。
それはひとえに、ケイたちの『信用の無さ』が原因だ。
基本的に冒険者ギルドや魔術的な何かによる、気軽な身分証明の存在しないこの世界では、業種に関わらず仕事とは人に頼んで紹介してもらうものだ。ゲーム内では、簡単な頼みごとをしてくるNPCの仕事を何度かこなし、その信用度を上げていくことで、護衛などの難易度の高い仕事が解放される仕組みとなっていた。
そしてこちらの世界に転移してから四日、当たり前だが異邦人(エトランジェ)であるケイたちに後ろ盾は存在しない。サティナに限れば、矢職人のモンタンは『顔見知り』ではあるが、あくまで顧客と店主の間柄に過ぎず、彼がケイの人となりを保証することはないだろう。
よって、素性も明らかではなく、保証人もおらず、ケイは草原の民のような顔つきで、アイリーンに至っては粗暴な性質で知られる『雪原の民』訛りの英語を話すとなれば、仲間に加えたくないと思われても仕方のないことだった。なまじ、ケイがぱっと見で屈強な戦士と判るだけにタチが悪い。仮にケイがならず者だった場合、獅子身中の虫どころの騒ぎではなくなるからだ。
それでも豪商の一人は、ウルヴァーンまでの道中、アイリーンを『貸す』ことを条件にケイたちを受け入れることを提案したが、当然のようにその話は蹴った。そして結局、合流する隊商が見つからずに、途方に暮れていたところで聞きつけたのが、『陸路ではなく水路でもウルヴァーンには行ける』という情報だった。