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サティナは”モルラ川”に面した都市であり、そのため下流―北への河川舟運が盛んに行われている。それに便乗して川を下れば、陸路よりも遥かに速く、そして安全に移動できるのだ。

しかしスピーディに川を『下れる』のは、ウルヴァーンとサティナの中間に位置する”シュナペイア湖”までの話。そこから北上するには、今度はウルヴァーンの側から流れてくる”アリア川”を遡上していかなければならない。

ウルヴァーンもまた、サティナと同様、高地に位置する都市なのだ。

基本的に風力と人力で川の流れに逆らうことになるので、川を遡上するのはお世辞にも速いとは言えない。よって、シュナペイア湖の町ユーリアからは、陸路に切り替えなければならないが―それでも陸路を半分に短縮できるならば、それに越したことはないとケイは考えていた。

考えていたのだが。

そこで立ちふさがったのが、まさかの『運賃』の問題であった。

こちらが大所帯とはいえ、銀貨30枚は舐めてるよなぁ

……全くだ

頭の後ろで手を組んで、ぼやくようにアイリーンが言う。その隣を歩くケイの言葉には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。

先ほどから、船着き場の船主たちに何度も交渉しているのだが、ケイたちはことごとく運賃を吹っ掛けられている。銀貨30枚などというのはまだ生温い方で、銀貨50枚、果ては金貨に近い額を要求してくる者まで、様々だ。

銀貨30枚前後が相場―ということは流石にあるまい、とケイは考える。今のケイたちにならば払えない額ではないが、そもそも銀貨30枚といえば、庶民の成人男子の三年分の食費に等しい。先ほどの船頭は、普通に荷を運べばそれくらいにはなると豪語していたが、家具やら資材やらを運ぶだけでそんなに稼げるはずがない。

業突く張りなのか、よそ者には意地悪なのか、あるいは単純に面倒で船に乗せたくないだけなのか―いずれにせよ、世知辛い話だ。

その後も手当たり次第に船頭へ声をかけて回ったが、結局銀貨30枚を下回る額は提示されることなく、ケイたちは徒労感に苛まれながら宿屋に戻ることとなった。

ああ……なんだか、無駄に疲れた

だなー

二人して、うだーっとそれぞれのベッドに身を横たえる。出掛ける前にたらふく昼食を詰め込んだのが、ちょうど消化の時間と重なったのか、眠気が酷い。

…………

しばし、ぼーっと天井を眺めるだけの沈黙が続く。しんしんと降り積もっていく、弛緩した無気力感。

……なあ、ケイ

ぽつりと、アイリーンがケイを呼んだ。

うん?

ウルヴァーンに、行ってさ。……そのあとケイは、どうするつもりなんだ?

ちらりと横を見ると、向こう側のベッドで、寝返りを打ったアイリーンがじっとこちらを見つめていた。

そう、だな……

天井に視線を戻したケイは、小さく呟いて、ぼんやりと考えを巡らせる。

要塞都市ウルヴァーン。別名、『公都』。

領主エイリアル=クラウゼ=ウルヴァーン=アクランド公が居城を構える巨大都市にして、北の異民族に睨みを利かせるリレイル地方の最前線。城郭都市サティナや港湾都市キテネなど、幾つかの大都市を従えアクランド連合公国を形成する―

昨日、聞き込みで収集した情報だ。

……まずは、ウルヴァーンにあるらしい『公都図書館』とやらに行ってみようか。利用料はかなり割高って話だが、一般人にも開放されているようだし、こちらの歴史や伝承を調べてみたいと思う。なぜ俺たちがこの世界に来たのか、何か、手がかりがつかめるかも知れないからな

『ここ』が異世界であるのは良いとしても、この世界に転移した原因はいまだ謎のままだ。ゲーム内で濃霧の中に突入した後、そこで何が起きたのか―ケイもアイリーンも一切憶えていない。

このまま何も分からずじまいなのは、どうにも気持ちが悪かった。

何者かがケイたちを召喚したのか。

あるいはその他の『何か』に起因する超常現象なのか。

せめて原因が何であるか、見当くらいはつけておきたいというのが、ケイの考えだ。

それで……それを調べて、どうするんだ?

……うぅむ

続けざまのアイリーンの問いかけに、 痛いところを突かれた と言わんばかりに唸ったケイは、自分もごろりと寝返りを打って青い瞳を見つめ返す。

正直なところ、その後どうするかは、……決めてない。今さら何言ってんだ、と思うかもしれないが、俺もまだ混乱してるんだ

様子を窺う。真摯な表情を変えないアイリーンに、ケイは言葉を続けた。

元々、『少しでも長生きして、一秒でも長くゲームを楽しむ』くらいにしか、考えてなかったからな俺は……

ケイにとって、 DEMONDAL は、もはや生きる目的だった。

この三年間は、ゲームが人生だった、とさえ言ってもいい。

それが突如として現実化したことで―生きる目的が何なのか、分からなくなってしまったのだ。

だから、思いつかない。思い描けない。これからの自分の将来が……

うん……オレも、同じだな。どうすればいいのか、分かんないんだ。自分が、どうしたいのかも……

茫然たる表情で、アイリーンが呟く。

……難しいな

視線を逸らし、ベッドから起き上がったケイは、窓に寄りかかって商店街の雑踏に目を落とす。

今日は良い天気だ。

店主と値引き交渉を白熱させる旅人に、飾られた織物をじっくりと値踏みする商人。果物の入った籠を背負って早足で歩いていく農民、その間をすり抜けるようにして走り回る子供たち。

と、一人の小さな男の子が石畳に蹴躓き、膝を擦りむいて大声で泣き出した。わらわらとその周囲に子らが集まり、通りがかった大人に慰められ、男の子はぐずりながらも友達に手を引かれて、そのまま歩き去っていく。

なあ、ケイ。ケイは、帰ろうとは……思わないよな

背後から、遠慮がちに投げかけられたアイリーンの声。

……思わないな。例え元の世界に帰れるとしても、俺はこっちで生きるよ

そっか……そうだよな……

ケイが振り返ると、アイリーンはうつ伏せになってぐりぐりと枕に顔をうずめていた。

……アイリーンは、どう思う?

オレか。……オレは、どうだろうな

しばし、動きを止めるアイリーン。

数秒ほどで、バッと顔を上げて、

わかんない!

わかんないか

うん。……オレも、ケイほどじゃないけどさ、特にリアルが充実してたってわけでもないし

一瞬、ふっと遠くなる視線。