募金、あるいは慈善事業。
そんな単語が脳裏をよぎる。この場を凌ぎ、自分の中である程度の決着を図る、妥協のライン。
何度も何度も礼を言うモンタンとキスカの言葉を、どこか冷めた心で聞き流す。
しかし、ふと横を見ればアイリーンが、食い入るような目で作業テーブルの上に置かれた便箋を。
さらに言うなら―『茶色がかった一房の金髪』を、見つめているのに気付く。
…………
そっと手を伸ばしたアイリーンは、モンタンたちに気付かれないように、髪の毛を幾本か回収した。
ふっ、と。
青い瞳が、一瞬ケイを見やる。
……ケイ。オレは先に戻るぜ
あっ、おい! アイリーン!
ケイの制止も聞かずに、アイリーンは走って工房を出て行った。
おい、アイリーン!
ケイが宿屋に戻る頃には、アイリーンは既に黒装束に着替え終わり、背中にサーベルを背負っていた。
アイリーン、お前何を考えてるんだ!
そんなの決まってる! 助けに行くのさ!
ケイの問いかけに、 お前こそ何を言うんだ という顔で即答するアイリーン。
……ッ
その答えが予想できていただけに、ケイは頭痛を堪えるように、額を押さえて天を仰いだ。そんなケイをよそに、アイリーンは投げナイフのベルトをつけ、手にはグローブを、足には脛当てをと、着々に戦闘態勢を整えていく。
……いいか、落ち着け。落ち着けアイリーン。俺たちは今、ゲームの世界にいるんじゃない
そんなことは、分かっている
いいや、お前は分かってない! 『助けに行く』とは簡単に言うがな、それがどういう意味かお前は理解していない!
澄ました態度のアイリーンに、思わずケイの口調が荒くなった。
お前が考えていることは分かる! 追跡 で髪を使えば、リリーの位置は簡単に分かるからな! だがアイリーン、今回の件は、話を聞く限りだと単独犯じゃないぞ! お前が助けに行くというのなら、十中八九、犯人たちと戦うことになるだろう!
きっ、とその端整な顔を睨みつけた。
そうなったとき、お前に人が斬れるかッ?
……悪人相手に、容赦するつもりはない
一瞬の間。しかし言い切る。だがケイはそれを、アイリーンの躊躇いの表れであると取った。
……覚悟はご立派だがな、アイリーン。本当にそれができるかどうかは、別問題だ
出来るさ。オレは今クールだが、同時に怒ってもいるんだぜ、ケイ。身代金が金貨一枚だなんて、リリーを帰すつもりがないとしか思えない。オレにはそれが許せねえ
見返す、その青い目のまっすぐさに、ケイは思わずたじろぎそうになる。
しかしそうなる前に、瞳は揺れ、アイリーンは気まずげに視線を逸らした。
……勿論、これはオレの勝手だよ。だから、ケイを巻き込むつもりはない。『コレ』はオレが一人でやる
……何?
ぴくりと、ケイの眉が跳ね上がった。
心に、微かな苛立ちが走る。
―違う。そうじゃない。
―そういうことじゃない。
市街戦は、ケイには都合が悪い。だが逆に、オレにとっては得意なフィールドさ。時間帯もいい感じだし、オレ独りでも―
アイリーン
独白するように言葉を続けるアイリーン、その両肩を掴み、ケイは瞳を覗き込んだ。
……
戸惑ったようなアイリーンの表情を、至近距離で眺めながら、しばし迷う。何をどう言うか。
……アイリーン。ここは、ゲームの世界じゃない、リアルなんだ。ゲームと違って、何が起きるか分からない。一瞬の油断が、ほんの少しの読み違えが、致命的なんだぞ。怪我で済まずに……死ぬかもしれない。本当にそれが、わかってんのか……?
囁くような、懇願するようなケイの口調に、アイリーンの表情は硬い。
しかし同時に。それは何処までも、真摯なものであった。
……ケイに、一度命を助けられておいて、何言ってるかって思うかもしれないけどさ。それでも、オレは、……リリーを放ってはおけないよ。ゲームの世界じゃないなら、尚更だ。リリーはNPCじゃない、生きた人間なんだ。オレは彼女を助けるよ
なんでだ。なんでなんだ、別に頼まれたわけでもないのに……俺たちには、関係ないじゃないか……
『関係ない』だって!?
信じられない、という顔をしたアイリーンが、ケイの腕を振りほどく。
『関係ない』わけがないだろう! オレたちはもう、彼らと関わり合ってるんだぞ!? 『関係ない』なんてことはないんだ、ケイ!
もどかしげに、首を振ったアイリーンは、言葉を続ける。
オレは……オレには、『力』がある。リリーを探して、救い出せるだけの力が! もちろん、危険なのは分かってるさ。死ぬかもしれないし、オレ自身、人を殺めることになるかもしれない。……それでも、
それでも、と自分の考えを反芻した。
オレに、それが出来るなら。オレに、誰かが救えるなら。オレはそれをやるべきだ。出来るだけの力があるのに、見なかったことにして、尻尾を巻いて逃げるのは、それは、―
俯き、声を絞り出すように、
―『ひとでなし』のすることだよ
がつん、と。
頭を殴りつけられたような衝撃が、ケイを襲った。
無知、であるが故に言える、純粋な言葉。
しかしその純度の高い正義感は、今のケイには鋭すぎた。
歯を食いしばって俯くアイリーンには、愕然とするケイの表情が見て取れない。
…………
どすん、という音にアイリーンが顔を上げると、ケイは顔を押さえて、力なくベッドに腰を降ろしていた。
……勝手にしろ
暗く沈んだぶっきらぼうな口調に、自分の放ったことばが、ケイを酷く傷つけたことを悟る。
そして悟ったがゆえに、これ以上は何も言えなかった。ここでケイの機嫌を取るようなことを口にすれば、二人の間の溝がさらに深まると、直感的に察してしまったから。
……ごめん
ただ一言、謝った。
…………
ケイは無言のままだったが、のろのろと腰のポーチに手を伸ばし、中から『それ』を引き抜いてアイリーンに放り投げる。
慌ててアイリーンが受け止めると、それは、ガラスの瓶だった。
中で、とろりと粘性のある、青い液体が揺れている。
―ハイポーション。
……持ってけ
視線を逸らしたまま、ケイは呟くようにして言う。
……ありがとう
短く、答え。
たんっ、と小さな音が響く。
ケイが顔を上げたとき、そこにはもう、少女の姿はなかった―
人々の営みを、その眼下におさめ。
屋根を踏みしめた、黒装束の少女。