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ぶわりと。

建物の壁に煽られ、吹き寄せる冷たい風。

黒いマフラーが流れ、たなびき、はためく。

―見やる。

城郭の外、西に広がる草原の大地。

黄昏の太陽が―沈みゆく。

見上げれば、月。

銀色に輝ける夜の女神。

茜色から、群青へと。

空はその貌(かお)を、変えゆく。

再び見つめる地平線。

太陽は―沈んだ。

さあ……オ(・)レ(・)た(・)ち(・)の時間だ

小さく呟いた、少女。

懐より取り出すは、水晶の欠片。

祈るように。願うように。

一瞬、瞑目した少女は、

Mi dedicas al vi tiun katalizilo.

その手より欠片を、落(おと)す。

重力に引かれる、透明な結晶。

とぷん、と。

それは、足元の影に呑まれ。

ざわざわ、ゆらゆらと。

蠢き、揺らめく。

魔性のもの。

Maiden krepusko, Kerstin.

呼吸を整え。

少女は、喚(よ)ぶ。

Vi aperos(顕現せよ).

果たして、逢魔が時。

―黒き影はそれに応えた。

21. 救出

耳元で風が唸る。

夕闇の街。

夜景が後方へ流れ去っていく。

黒装束の少女は、駆ける。

家々の屋根を、たんっ、とんっ、と。

軽い足音だけ置き去りにして。

足元から伸びる黒い影。

魚……鳥……猫……あるいは人の腕。

楽しげに、跳ねるように、泳ぐように。

目まぐるしく姿を変えながら、道を指し示す。

黄昏の乙女『ケルスティン』。

薄明を司る、宵闇と残光の化身。

アイリーンは、精霊の導きに従って、リリーの元へと向かっていた。

ケルスティンは陰を往き、影を操る精霊だ。

陽が沈んだ後の、それでいて完全な暗闇ではない、限られた環境下でしか顕現できない儚い存在。

ケイが契約を結ぶ中位精霊・風の乙女『シーヴ』に比べると、物理的な干渉能力は遥かに劣り、また影を操るという特性上、直接的な攻撃力は無いに等しい。

が、そうであるが故に消費魔力が少なく、また触媒を選り好みもしないため、術の行使にほとんどコストがかからない。扱いに癖があり、使いどころが限定されるので、純魔術師(ピュアメイジ)には向かないとされるが―魔術はあくまで補助的なものとする魔法戦士(ニンジャ)にとって、それはおあつらえ向きの契約精霊といえた。

……ここか

旧市街の一角。

屋根の上で身をかがめ、アイリーンはひと気のない寂れた通りを望む。足元の影は手の形を取り、真っ直ぐに目の前の建物を指差していた。

薄汚れた路地に面した、石造りの二階建て。飾り気も何もない、倉庫のような構造だ。一階と二階の窓からは、それぞれ明かりが漏れている。探るまでもなく、建物全体から人の気配。特に一階からはわいわいと、男たちの騒ぐ賑やかな声も聴こえてきていた。

ひらりと身体を跳ねさせて、通りの向こう側の屋根へと飛び移る。助走もなしに軽々と三メートルを越える跳躍、四つん這いになって音もなく瓦の上に着地した。四足のまま、そろそろと気配を消して慎重に窓に忍び寄る様は、まるで猫科の肉食動物のようだ。

屋根の縁に足を引っ掛けて、蝙蝠のように逆さにぶら下がったアイリーンは、そっと雨戸の隙間から中の様子を覗き見る。

(……意外と片付いてんな)

第一印象。

それは、がらんどうな、生活感のない空間だった。ほとんど家具の類も見当たらず、ただ殺風景にフローリングの床が広がっている。部屋の片隅には小さなテーブルと椅子が置かれ、卓上のランプの明かりで読書をする優男が一人。奥には下への階段があり、賑やかな声と男たちの揺れる影が見て取れる。

…………

ぱら、ぱらと優男が本のページをめくる音だけが響く。雨戸の外の忍者にはまるで気付く様子もなく、どうやら二階に居るのは彼一人のようだ。それからしばらく観察するも優男は読書に熱中したままで、これ以上は特に情報は得られそうにないと判断したアイリーンは、そっと窓から離れた。

腰のポーチから鉤縄を取り出し、屋根の端に引っ掛けて地上へ降下。今度は通りとは反対側の、勝手口の前に降り立つ。

微かに匂うアルコール臭。近づいてみれば一階は相当に騒がしい。中ではかなりのどんちゃん騒ぎが繰り広げられているようだ。それでも気取られないよう、細心の注意を払いながら、アイリーンは慎重に一階の窓を覗き込む。

(! あれは……)

アイリーンの顔に浮かぶ、驚きと困惑の色。部屋には、酒を片手にテーブルを囲み、大盛り上がりの男が七人ほど居た。皆、身なりの汚いごろつきばかりであったが―その中に見知った顔が一人。

(―ボリス! なんでこんなとこに)

ごろつきに肩を組まれ、酒に酔った赤い顔で大笑いしているゴツい体格の男。ボサボサの黒い癖毛にぎょろぎょろとした目つき。

間違いない、数日前に工房の前で見かけたボリスその人であった。

窓から離れたアイリーンは、壁にもたれかかって小さく唸る。

(……あの野郎が一枚噛んでやがるのか)

リリーは賢い子だ。頭の回る彼女が、滅多なことで犯罪に巻き込まれるはずがないと、モンタンたちに話を聞いてからアイリーンは疑問に思っていた。

身内による犯行。

今のボリスを『身内』と考えて良いものかはさて置き―彼が誘拐に関わっていたのだとすれば、リリーが油断してしまってもおかしくはない。

(アイツ、金を借りたり散々世話になってるくせに、恩人の娘を誘拐するとはどういう了見だ……!?)

困惑は、呆れに変わり、やがて怒りの炎と燃え始める。

これは一発ぶん殴らねば気が済まない、と思うアイリーンであったが、怒りに任せて正面から殴り込みをかけるような真似はしなかった。

…Kerstin

小声で、足元の揺らめく影に呼び掛ける。

Kie estas Lily?

アイリーンの問いかけに、影が人の手の形を取り、壁をスクリーン代わりにしてすっと上を指差した。

……二階(unua etago)?

『 Neniu 』

ちゃうちゃう、と手を振った影が、流麗な筆記体となり答える。

じゃあ一階(teretago)?

『 Neniu 』

……屋根裏(tegmento)とか?

『 Neniu 』

ええー

ならどこだよ!! というツッコミをぐっと堪え、冷静に考える。

中二階(interetago)……隠し部屋か?

『 Jes 』

筆記体の後、ビッと親指を立てる黒い手の形を取り、ケルスティンは揺らめいて普通の影に戻った。

(隠し部屋か……)

なかなか凝った真似をしやがる、と独りごちながら、しかしアイリーンは密かに安心する。わざわざ隠し部屋に監禁するということは、つまりリリーはまだ生きているということだ。仮に、リリーの居場所は地面の下、などと示されていれば、アイリーンも流石に冷静ではいられなかったかもしれない。