いや、それもだけど。何で、この場所が分かったんだ?
首を傾げるアイリーンに、気まずげな表情で、つと視線を逸らすケイ。
その背後。
ランタンの明かりに照らされた宵闇の空に。
アイリーンは、妖艶な笑みを浮かべる、羽衣をまとった少女の姿を幻視した。
え、ええー?
唖然としたアイリーンの顎が、がこん、と落ちる。
……触媒(エメラルド)使ったのかよ? 無駄すぎる……!
……。いいんだよ、別に!
しばし、渋い顔をしたケイであったが、開き直ったようにアイリーンを見据えて、
宝石の一つや二つ、いつでも買える! だが、
だが……、と。
黒い瞳を揺らし、口を開いたケイは―そのまま何も言えずに、再び目を逸らした。
まあ、その、なんだ。……遅くなって、すまん
すっと、頭を下げる。ケイの思わぬ行動にぱちぱちと目を瞬かせたアイリーンであったが、やがて しょうがないな という顔になって、コツンとケイの頭を小突いた。
……別にいいよ。来てくれただけでも、嬉しいし。それに……
出発前、自分の言葉が、ケイを傷付けてしまったらしいことを、思い出す。
…………
しかし、どうだろう。今ここでそれを謝ると、問題を蒸返すことにならないだろうか。
今は―。
唇を引き結んだアイリーンは、ぽん、とケイの肩に手を置いて、笑顔を作った。
ま、本当に『来てくれただけ』、だけどな! 気持ちは嬉しいけど、はっきり言って今回はクソの役にも立ってないぜ!
くっ、事実だけに言い返せない……!!
はっはっは、と笑うアイリーンを前に、悔しそうな顔をするケイ。
だいたい何だよその格好! 戦争でもおっぱじめる気か? そんなに矢持ってても、使い切れねえだろ!
そんなことはない、何かに役に立つかも知れないじゃないか! ほっとけ!
市街戦で弓は使えねぇだろー
いざとなれば壁ごとブチ抜くつもりだったさ!
やいのやいのと、騒がしく。そのそばでは、おいおいと泣く親子二人。さらにそれを取り巻く衛兵たちの輪。
兜をかぶり直しつつ、夜空の月を見やった黒ひげは、
……はぁ。早く帰りてぇ
ただ、小さく溜息をついた。
†††
その後、衛兵たちの手によって、ボリスら誘拐犯一味は全員が御用となった。
調べてみると、建物内部からは麻薬など非合法の物品が次々と見つかり、実は大規模な麻薬組織のアジトであったことが判明した。ボリスは、その組織の下っ端だったらしい。
厳しい取り調べにより、芋づる式に構成員が捕縛され、ボリスを含むその殆どが打ち首となった。斬首を免れた残りの者は奴隷に落とされ、鉱山やサティナ北西部の汚物処理村で、死ぬまで強制労働を課せられるそうだ。
ただ、全ての構成員が口にしていた、まとめ役の『細身の男』については、『トリスタン』という名前が分かったのみで、他には何も情報が得られなかった。どれだけ市内を捜索しても見つからないため、既にサティナから脱出している可能性が高いそうだ。
モンタン一家はというと、今回の一件で、全員が心身ともに疲れ果てていた。
特にリリーは大きなショックを受けているようで、しばらくは塾にも行かず、家でゆっくりと過ごすとのこと。モンタンも、しばらくは休業するそうだ。
当分は、家族水入らずで過ごすつもりです
ケイに借りた銀貨を返しながら、モンタンは無理やり笑みを浮かべて、しみじみとそう言った。 本当に、ありがとうございました と、アイリーンの手を握って、何度も頭を下げていたのが印象的だった。
ケイたちは、事件の後も、三日間サティナに滞在した。
革職人のコナーに任せていたミカヅキの皮の仕上がりを待つのと、護衛の仕事を探すためだ。
今回の一件を通し、幸か不幸か、ケイたち―主にアイリーンだが―は、『評判』という形で信用を得ることに成功した。
悪人たちのアジトに颯爽と殴り込み、誘拐された子供を見事救い出した正義の魔法戦士。そしてそれがうら若き乙女ともなれば、評判にならないわけがない。アイリーンの武勇伝はあっという間にサティナの街に広がり、前日に仕事を探したときとは打って変わって、逆に商人の方から護衛を頼まれるほどの人気ぶりであった。
その中で最も大手だったのが、モンタンの得意先でもあるコーンウェル商会だ。何でも、商会の御曹司のユーリという少年は、誘拐当日にリリーを遅くまで屋敷に引きとめていたらしく、それが誘拐の一因になったのではないかと、自責の念に苛まれているそうだ。同時に、リリーを無事に助け出したアイリーンには深く感謝しているようで、救出の翌日には宿屋まで、本人が直々に多額の謝礼を届けに来た。
謝礼はユーリ少年のポケットマネーから出ているとのことだったが、それがなんと金貨数枚分に匹敵するほどの大金だった。驚いたのはケイもアイリーンも同じで、有難く頂戴しようとはしたものの、正直なところ、それほどの大金を手渡されるとそれはそれで持ち運びに困る。
魔術の行使にエメラルドや水晶などの触媒を消費した、と言うと、聡い少年はすぐにその意図を察し、金貨一枚ほどの現金を残していったあと、残りの額に相当する宝石類が翌日に届けられた。ケイが 顕現 を二回使えるだけのエメラルドに、アイリーンが枯渇の心配をしなくて済むほどの上質な水晶とラブラドライト。『宝石の一つや二つなど~』というケイの言葉が、思いのほか早く実現した形だ。
ちなみにユーリは、リリーが塾通いを再開する際に、護衛を付けることを画策しているらしく、アイリーンをコーンウェル商会専属の護衛として雇うことを提案してきた。男の護衛だとリリーが怖がるかもしれないが、アイリーンならばリリーと知己である上に、器量・力量ともに問題ないというわけだ。謝礼とは別に、これまた目が飛び出るような報酬が提示されたのだが、ケイもアイリーンもサティナに留まるつもりはないので、断腸の思いでその話は断った。
護衛の話が無くなって、ユーリは至極残念そうにしていたものの、ケイたちがウルヴァーンに向かう予定であることを知ると、すぐに仕事の口を利いてくれた。サティナから街道を北上し、ウルヴァーンまで陸路で向かう隊商の護衛。それも、かなり報酬の良い、数日前までは考えられないような破格の待遇だ。今まで全く接点のなかった少年に、ここまで世話になるとは、流石にケイも予想外だった。
(―情けは人のためならず、か)
出立の朝。サティナの北門前にて、ケイはその言葉の意味を考えずにはいられない。
目の前では、今回護衛として参加する隊商の面々が、積荷の最終チェックを行っていた。ケイとアイリーンは準備万端で、ケイはサスケに、アイリーンは新たに『スズカ』と名付けた草原の民の馬に跨っている。ちなみに残りの二頭は、コーンウェル商会経由で売却済みだ。