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……

樹海を蛇行しながら流れる川。

その水面を、滑るように小舟が進んでいく。

しん、と沁み入る静けさの中に、時折、さざ波の音だけが響く。

小舟に乗るのは、五人。いずれも、黒い外套に身を包んだ男達。

船尾にて、ゆったりと櫂を漕ぐ者。

クロスボウを抱え、周囲を警戒する者。

舳先に吊るした香炉の火が、消えないよう見張る者。

残りの二人は、舟の真ん中で、身を寄せ合うようにして座り込んでいた。

そこに、一切の会話はない。会話する余裕がない、というべきか。真ん中の二人は俯いたまま身じろぎもせず、他の者はそれぞれの役割に集中していた。あるいは、彼らにとっても、ここは油断できない場所なのかもしれない。例え獣避けの香を焚き染めていたとて、それは絶対の安全を保証するものではないのだ。

どれほどの時間が経ったか―。

延々と、同じ場所を通り続けているのではないかと。そう錯覚してしまうほどに代わり映えのしなかった景色が、徐々にその様相を変え始める。

樹木の密度が薄くなり、代わりにごろごろとした石材が散見されるようになった。地面に横たわる苔むした石柱。崩壊しひび割れた巨大な石壁。遺跡、あるいは廃墟。そんな言葉を連想させる。かつて、ここで何かが栄え、そして滅び去った跡―。

と、頭上より、バサバサと羽音が聴こえてきた。

同時に、小舟を丸ごと覆い隠すような、巨大な影が差す。思わず全員が空を見上げると、三羽の黒い鳥が舟を取り囲むように旋回していた。そのうちの一羽が包囲の輪を外れ、ゆっくりと小舟に接近してくる。

ばさり、ばさりと吹き荒れる風。穏やかだった川面が、風圧に吹き散らされる。近づいて見れば、圧倒されるほどにその鳥は大きかった。両脚の爪は短剣のように鋭く、嘴はぎざぎざの歯が生えた恐ろしげなもので、体長はおそらく十メートルを優に超えるだろう。まさしく、怪鳥とでも呼ぶべき存在。

―Ni honoras la nigra dentego!

小舟の舳先、香炉の火の見張り役だった男が、片手に金属製のメダルを掲げて高らかに叫ぶ。

ずん、と音を立てて、近くの石壁に降り立った怪鳥は、翼を畳みながら首を傾げてそちらを覗き込んだ。握り拳ほどもある大きな赤い瞳が、じっとメダルを捉えて動かない。

ごくり……と、真ん中に座り込んでいた男の一人が、生唾を飲み込む音が響く。

……ガァ

ほどなくして、怪鳥は興味を失ったように視線を外し、一声鳴いて再び翼を広げた。来たときと同じように羽音を響かせながら、頭上の二羽と共に何処ともなく飛び去っていく。

……おっかねぇ

怪鳥の後ろ姿を見送りながら、ほっと溜息をつくように、先ほど生唾を飲み込んだ男。風にフードがあおられて、その相貌が露わになっていた。短く刈り込んだ茶髪に、こけた頬、げっそりとやつれた顔。歳の頃はまだ若い、二十代前半ほどであろうか。

青年の名を、『パヴエル』という。

壊滅したモリセット隊の、数少ない生き残りの一人だ。右肩の傷は未だ癒えておらず、出血で弱った身体には力が入らない。そんな衰弱した状態であるにも関わらず、ベッドから外に連れ出され、さらに化け物のような鳥には睨まれて、肝を冷やしたパヴエルの顔色はお世辞にも良いとは言えなかった。

……あぅぇえぉぁ

その隣では、布で口元を隠したラトが、ぼんやりとした表情で何かを喋っている。それが意味のある言葉なのか、あるいはただ赤子のように声を上げているだけなのか。本人が気狂いになってしまった今では、確かめる術すらない。

そんな二人をよそに、小舟は再び進み始める。舳先の男は、落ち着いた様子で懐にメダルを仕舞っていた。香炉の火は突風で吹き消されていたが、これ以上、獣避けの香の必要はない。

ここから先は、彼らの縄張り(テリトリー)だ。

視界が開け始める。見やれば、川の上流。小高い丘の上に、ひっそりとたたずむ建築物の影。がっしりとした石造りの外壁が連なり、幾重にも水堀が取り囲む中、控え目な高さの尖塔がそびえる。苔むして古びてはいるが、明らかに人の手が入っている、堅牢な要塞建築。

―『それ』に、名前は付けられていない。

だが、それを知る者は単純に、『城』とだけ呼ぶ。

獣の跋扈する樹海と、黒き翼の怪物に守護され、滅び去った古代の都市の中心部に、静かにそびえ立つ古城。

イグナーツ盗賊団。

その、知られざる本拠地だ。

†††

水門を潜り抜け、城の中へと通されたパヴエルにラトは、無口な黒服の男たちに連れられて、尖塔の一つを登っていった。

肩を貸してもらいつつ、フラフラになりながらも、塔の頂上へと辿り着く。目の前には、複雑な装飾の施された、重厚な木製の扉。その両側には、まるで岩のように微動だにしない、全身鎧で武装した衛兵の姿がある。

―ここを『城』だとするならば、中に居るのは、あるいは『王』か―

そう考えたパヴエルの、顔色がさらに悪くなる。下っ端に過ぎない彼にとって、『城』を訪れるのはこれが初めてであったし、そもそも昨日までは、その所在地すら知らなかったのだ。ましてや盗賊団の首領になど、お目にかかったこともない―

額に冷や汗が浮き上がり、口の中はからからに乾いていた。今のパヴエルには、隣で白痴のように呆けた表情をしているラトが、ただただ羨ましく見えて仕方がない。

……お頭、連れてきました

黒服の一人が、控え目に扉をノックする。 通せ と中からくぐもった声。パヴエルの緊張は、この時ピークに達した。

ギィッ、と軋みながら、扉が開かれる。入らないという選択肢はない。もうどうにでもなれ、と半ば自棄になったパヴエルは、黒服たちと共にその中へ足を踏み入れた。

―それほど、広くはない部屋だ。

ふかふかの赤い絨毯が足音を吸いこむ。そこは拍子抜けするほどにこじんまりとした空間だった。しかし塔の最上部の一室だけあって、解放感が素晴らしい。まず目に入ったのは、窓の木枠にはめられたガラスだ。透明で混じり気がなく、真っ直ぐに成型された品。それは、貴族の館でもお目にかかったことのないほどに、上質なものだった。

よく来たな

窓の前、執務机に向かっていた男が、羽根ペンを動かしながらふっと顔を上げる。その眼光に射竦められ、パヴエルは人形のように硬直した。

大男。

彼を形容するのに、これ以上に相応しい言葉があろうか。

全身の盛り上がった筋肉。まるで山のような存在感。手の中の羽根ペンが、ともすれば玩具のように見えてしまうほど太い腕。どことなく熊を連想させる彫りの深い顔立ちは、 公国の将軍だ と言われれば信じてしまいそうなほどに、威厳に満ち溢れている。

外の衛兵は要らないんじゃないか、と瞬間的にパヴエルはそう思った。ただ椅子に座っているだけなのに、空気が渦巻くような力強さがひしひしと伝わってくる。モリセット隊を壊滅させた、謎の弓使いとはまた別種の、絶望にも似た圧倒的強者の風格。