―カァ
部屋の片隅、止まり木の鴉が一声鳴き、気圧されていたパヴエルはハッと我に帰る。
は、はいっ
背筋をぴんと伸ばし、慌てて答えるパヴエルに、大男は薄く笑みを浮かべた。
モリセット隊のパヴエルに、そっちはラトランド、だったな? さっそく詳しい話を聞かせてもらいたいところだが―先にこれを終わらせちまおう。少し待ってもらっていいか
も、もちろんです
こくこくと頷くパヴエル、大男はニカッと野性味のある笑顔を見せて、机の上の書類に視線を戻す。
しばし、紙の上を羽根ペンが走る音だけが響く。緊張に凝り固まったまま、パヴエルはちらちらと部屋の観察を試みた。上質な赤い絨毯、ボードゲームの置かれた丸テーブル、上品な仕上げの木の椅子に、書物や巻物がぎっしりと詰められた本棚。
部屋の隅に飾られているのは、大男に相応しい巨大な鎧だ。普通の板金鎧(プレートメイル)よりも重厚な、質実剛健な造りのそれは、幾多の戦いを潜り抜けてきたのか、あちこちに修繕の跡や傷が見られた。その隣には、壁に無造作に立てかけられた戦鎚(バトルハンマー)。これも随分と使い込まれたものなのだろう、きちんと手入れがなされているにも関わらず、全体がどす黒く鈍い光を放っていた。
……クゥ
そこでふと、止まり木の黒い鴉と目があう。首を傾げて、身を乗り出すように、こちらを覗き込む赤い瞳。そこに、まるで心を見透かすような、得体の知れない知性の光を見た気がして、薄気味が悪くなったパヴエルはそっと目を逸らした。
―よし、こんなもんか
最後にさらさらとサインをし、羽根ペンをインク入れに戻した大男が、ばさりと書類の束を傍らの黒服の男に差し出す。
いつものように頼む。お前たちは下がっていいぞ
畏まりました
大男に促され、付き人の黒服たちが恭しく部屋を辞する。ぱたん、と扉の閉まる音。残されたのは大男にパヴエル、ラトの三人だけとなった。
はぁ~、まったく、肩がこる……
ごりごりと首を鳴らしながら、肩を回す大男、
さて、待たせたな。これでゆっくり話ができる
机の上で手を組み、改めてパヴエルたちに向き直る。その野生的な体格に不釣り合いなほど理知的な―そうであるからこそ底が知れない―目に見据えられ、パヴエルはびくりと身体を震わせた。
……むっ
が、緊張して顔色の悪いパヴエルに、何を思ったのか大男は顔を険しくする。
そういえば、お前たちは負傷しているんだったか?
…………
え、ええ……
厳しい表情の大男に、呆けたように何も言わないラトの隣、自分は何かやらかしたのかと戦々恐々としながら、パヴエルは小さく首肯した。
パヴエルの返答に、渋い顔になった大男は、
むぅ、そいつぁ悪いことをした。立ちっ放しだと辛いだろ、ちょっと待て
やおら立ち上がり、部屋の隅、丸テーブルの傍らに置いてあった椅子を二脚、ひょいと抱え上げて持ってくる。
ほれ、とりあえずこれにでも座れ
そっ、そんなっ、大丈夫ですっ
なーに、減るもんでもなし、気にすんな
何でもない顔で、 ほれほれ と椅子を勧める大男。頭目が手ずから椅子を用意するという事態に驚愕し、ひたすらに恐縮するパヴエル。しかしそんな彼をよそに、 おおおぉぉぅ と呻きながらラトがさっさと腰を下ろしてしまったので、おっかなびっくりで席に着いた。
よしよし、それでいい
満足げに頷きながら、大男はどっかと自分の椅子に身を投げ出し、くいと首を傾げる。
さて、二人とも、改めてよく来たな。俺がイグナーツ盗賊団の頭目、『デンナー』だ
堂々たる名乗り。
―デンナー。
その名を聞いて、パヴエルは動きを止めた。
吸い寄せられるように、部屋の隅に立てかけられた、使い込まれたバトルハンマーに視線をやる。
デンナー……“巨人”の『デンナー』?
思わず、といった様子で、口からこぼれ出た言葉。それには答えず、大男―デンナーは、ただその笑みを濃くする。
……すっすいません、自分は、パヴエルです
目上の人間を前に呆然とする、という失態に気付いたパヴエルは、すぐに気を取り直して姿勢を正した。
……それと、こいつが、ラトランドです。口をやられてうまく喋れないのと、その、ちょっと頭がイカレちまったみたいで……
うむ、報告でもそう聞いている
机の引き出しから書類を取り出して、それを眺めながら顎ひげを撫でつけるデンナー。
たしか、タアフの村の近く、だったな。弓使いの男に奇襲されて、モリセット隊は壊滅、モリセットの野郎も死亡、と……
はい
詳しい話を聞かせてくれ
真面目な顔のデンナーに促され、ぺろりと唇を湿らせたパヴエルは、順序立てて最初から話し始める。二人組の旅人を襲撃したこと、それを逃がしてしまったこと、野営の最中で奇襲を食らったこと―。
デンナーは時折それに質問を挟みつつ、手元の紙にメモを取りながら、真剣な顔で話を聞いていた。
なるほど、な……モリセットの最期はどうだった?
すいません。自分は気絶していたもので、分かりません
……そうか、ならいい。気にするな
申し訳なさそうに小さくなるパヴエルに、 何でもない という顔で手をひらひらさせるデンナー。
……そして、これが、
気まずさを払拭するように、パヴエルはそっと、胸元から『それ』を取り出した。黒い布に覆われた物体。ことん、と机の上に置く。
デンナーはおもむろに手を伸ばし、その布を剥ぎ取った。中から姿を現す、鈍い銀色の刃。
―ハウンドウルフの血で汚れた、短剣。
ハウンドウルフに刺さってたんで、多分、襲撃者の所持品かと……。逃げる途中で見つけたんで、回収しておきました
……うむ。でかした
短剣を手に取り、陽光に照らすように眼前に掲げる。指先で刃を弾くと、ぴぃんと澄んだ音が響いた。
しばらく無言で手の中の短剣をいじっていたデンナーは、顔を上げてふいに正面からパヴエルを見据える。
パヴエル。お前、魔術について知識はあるか
えっ? ……いえ、ありません。精霊語で精霊にお願いして、奇跡が起こせるってこと以外は、特に……
ふむ。こういうとき、敵の所持品を探しておくってのは、モリセットに教えられていたことか?
はい。それが手がかりになるかもしれないから、と隊長にはいつも言われてました
そうかそうか。あいつも上手くやってたんだな
何度も頷くデンナーは、上機嫌なようでどこか寂しげでもあるという、不思議な表情をしていた。