―わかった。二人とも、報告ご苦労だったな
立ち上がったデンナーが、ぱんぱんと手を鳴らす。すぐさま扉が開かれて、黒服のメイドが二人、しずしずと入室してきた。
二人に部屋を用意しろ。それと滋養の付く食べ物もな。ああ、一人は口がダメになっているから、そこは気を利かせろよ
かしこまりました、デンナー様
恭しく頭を下げたメイドたちは、 こちらへ とパヴエルたちを部屋の外に誘う。
えっ、いや、そのっ
唐突な、まるで客人のような扱いに、目を白黒させるパヴエル。助けを求めるようにデンナーを見やると、彼はニカッと口の端を吊り上げ、
なあに、休暇みたいなもんだ。こんな辺鄙な場所だが、ゆっくりするといい。傷が癒えたら、またそれになりに働いてもらうがな
ガッハッハ、と声を上げて笑う。
困惑の表情を浮かべつつも、ありがとうございます、と頭を下げたパヴエルは、結局一言も喋らなかったラトと共に、メイドたちに連れられて部屋を辞した。
ぱたん、と扉が閉じ、部屋にはデンナーと、赤い瞳の鴉だけが残される。
デンナーはどっかと椅子に腰を下ろし、行儀悪く執務机の上に足を投げ出した。
……どう思う、親(・)父(・)?
手の中で短剣を弄びながら、独り言を呟くように。
カァ~
部屋の鴉が一声鳴き、澄まし顔で毛づくろいの真似をする。
親父。俺までからかうのはやめてくれ
カァ~カァ~、カぁ~カッカッかッかッかッ!
その鳴き声が、途中からしわがれた老人のそれに変わっていく。
……そうさの。かッかッ、まぁ、只者ではあるまいて
鴉は翼をはためかせ、止まり木から執務机へ。ぎょろり、と蠢いた赤い瞳が、デンナーを見据える。
黒い鴉。
瞳が燃えるような赤であることを除けば、見た目は何の変哲もない、ただの鳥。
それがまるで、当然であるかのように、鴉は朗々と喋り出す。
凡人ならば、モリセットの坊主に、奇襲された時点で『詰み』じゃろう。それをいなし、逆襲を仕掛け、なおかつ十人の隊を壊滅させたとなると……その力量を疑う余地はあるまい。問題はむしろ、
『何故そんな使い手が、そんなところに居たのか』
じゃのう
深々と頷く鴉に対し、デンナーは手元の書類に目をやった。ボリボリと頭を掻きながら嘆息する。
おかしいよなぁ。黒装束をまとった金髪碧眼の乙女に、草原の民風の弓使いの男。しかも男の方がかなりの使い手ともなれば、目立たないはずがねえんだが
海辺の町ならともかく、タアフの村は内陸部じゃからのう。モリセット隊と接触する前に、近くの街なり村なりで話題に上るはずじゃ
ああ。それなのに調べても調べても、全く情報が出てこないってのが解せねえ
ばさり、と書類を机の上に放り出し、デンナー。紙面上には、近隣の街や村々に潜り込んだ構成員の報告が、事細かに記されていた。
うむ。何者かの、作為を感じるの。不自然であるということは、そういうことじゃ。あくまで、魔術師としての勘じゃがの……
親父の勘は良く当たる。どこが怪しいと思う?
タアフの村と言えば、バウケット領じゃろ? ならばサティナしかあるまいて
ま、ウチの『客』じゃないデカい街といえば、サティナくらいのもんだしな……
しばし、考え込むように、一人と一羽は沈黙した。
……まあいい、すぐに分かることさ。親父、いつものように頼む
相分(あいわ)かった、鳥たちに探させよう……
黒羽の鴉は、短剣の前、ばさりと翼を広げる。
Barono de nigregaj, Stina.
ぎらりとその瞳が光る、
Vi sercas la mastro… ekzercu!
呼びかけに呼応するように、卓上の刃が微かに鳴動した。
ふむ……
鴉の両目が、まるでカメレオンのようにぎょろぎょろと目まぐるしく蠢く。しかし、それも長くは続かず、視線はすぐに一点へ定まった。鴉は真っ直ぐに東を向いて、小さく首を傾げる。
―見つけた。サティナじゃ
ほう、やはりな。となると、その『弓使い』とやらは、あの街の回し者か。サティナの何処に居る? 高級市街なら、領主に雇われた傭兵でまず間違いないと思うが
これは……妙じゃの。商人街かのう、何の変哲もない宿屋におるわい。ふぅむ、黒装束ではないが、金髪の女子も連れておる。背中を向けておるので本人の顔は見えぬが―
実況するように、虚空を見つめながら、鴉はさらに言葉を続けようとした。が、その時、机の短剣がカタカタと震えだし、部屋の空気がぞわりと異様な雰囲気を孕んだ。
む、いかんッ
鴉の声に、焦りの色が浮かぶ。ばさりと翼を翻して、目の前の短剣から飛び退った。
― Sinjoro ―
部屋の中。
― Kion vi volas, huh ? ―
無邪気な、それでいて妖艶な、声が。
轟々と窓の外、風が吹き荒れる。ガタガタと揺らされる窓枠。何か不吉な予感に襲われたデンナーは、咄嗟に床に伏せた。
突風が、吹きつける。
けたたましい音を立てて、部屋の窓が割り砕かれた。飛び散るガラスの破片、ばさばさと舞い散る書類、獣の咆哮のように唸りながら、吹きこみ渦巻き荒れ狂う風。
こ、これはッ!
吹き飛ばされないよう、机の上で必死に張り付きながらも、鴉は見た。
―放置されていた短剣に、見る見る間にひびが入っていき、ボロボロに崩れ去っていく様を。
! 待て!
慌てて短剣に近寄ろうとしたところで、バシンッと音を立てて、鴉はまるで見えない手にはたかれたように、部屋の端まで弾き飛ばされる。
親父ッ!
大事ない! しかし―!
身を起こしたデンナー、その目の前でざらざらと、砂のように短剣が崩壊した。その細かな粒子は風に巻き上げられ、虚空へ誘われるように溶けて消えていく。
― Gis la revido ―
鈴の鳴るような、悪戯っ子のような、笑いを含んだ声。巻き上がる風の中に、デンナーはひとりの、羽衣をまとった少女の姿を幻視した。
そして唐突に、風は止む。
…………
後には呆気にとられたようなデンナーと、部屋の隅で羽根を散らし、頭痛を払うように首を振る鴉だけが残された。
……親父、いったいどういうことだこりゃ
めちゃめちゃになった部屋の惨状に、唇を尖らせたデンナーが、咎めるような目で鴉を見やる。しかし茫然と口を開けた鴉は、
……かッ
ただ、息を詰まらせたような声を、
かッ、かッかッ、カカカッッ、カッハハハハハハッ!!
興奮してばさばさと翼を動かしながら、引き攣ったように笑い始める。
かッかッかッ、彼奴め、気付きおった! わしの『眼』に気付きおったぞ! カカカッ、傑作!! こいつは傑作じゃ!
俺には面白くもなんともないんだが……どういうことだ