ダグマルから、人手が足りないと聞いたが
おお、ありがたいっ
顔を真っ赤にして、荷台を持ち上げるように両手で支えていた商人が、救世主を見るような目でケイを見た。しかし同時に、その腕からふっと力が抜け、馬車の下で荷台を支えていた男が ぬぉっ と唸り声を上げる。
すっ、すまない、支えてくれないか!?
任せろ
商人の悲鳴のような声に、ケイはすぐさまサスケから飛び降りて、代わりに荷台を支え持った。ぐっ、と腰を入れて両腕に力を込めると、まだ少なくない量の商品を載せているにも関わらず、荷台は軋みを上げて僅かに浮き上がる。
おっ、軽くなった
下から荷台を支えていた短髪の青年が、嬉しげな声を出す。しかし、よくよく見るとこの男、どうやら商人の見習いではなさそうだった。板金付きの革鎧で身を固めている上に、腰には短剣の鞘が見受けられる。体つきも商人のそれではなく、実戦的に鍛えられた戦士の肉体だ。
(護衛か? しかし初めて見る顔だな)
腕に力を込めつつ、ケイは記憶を辿って首を傾げた。今朝、サティナを出発する前に、ケイたちは他の護衛と顔を合わせている。しかしどうにも、この青年には見覚えがない。短く刈り上げた金髪に、薄い青の瞳。肌は白く、全体的に色素が薄いように感じられる。目つきが妙に鋭く威圧的であることを除けば、その顔立ちは整っていると言っていいだろう。ピアスだらけの左耳が非常に印象的なので、仮に一度でも会っていれば、記憶に残っていない筈がないとケイは考える。
護衛の傭兵ではなく、誰かの個人的な用心棒なのか。
あるいは行商に同行しているだけの旅人なのか。
ケイが考えを巡らせていると、ふと、その青年と目が合った。
あんた、なかなか、腕っ節が強いな
どこか―挑戦的な、好戦的な。そんな物騒な光を、瞳の中に見た気がした。
……そいつはどうも
おどけるように肩をすくめて、ケイはそれをやり過ごす。
ようし、ここに板を差しこめ!
釘! 釘もってこい釘!
こっちにも角材回してくれ!
周囲の男達の騒がしい声を聞き流しながら、荷台を支える手に意識を集中させた。
だが、ケイが視線を逸らしても尚。
金髪の青年はじっと、野性的な目でケイを見つめ続けていた。
†††
結局、隊商の一行が次の村に到着したのは、それから数時間後のことであった。
言わずもがな、原因は最後尾の馬車だ。実は、ケイが手助けに行ってから、十分としないうちに応急処置そのものは終わったのだが、車軸の傷みが思いのほか不味かったらしく、馬車はカタツムリのような速度しか出せなくなっていた。
言うまでもなく、これは他の商人たちにはいい迷惑だ。しかし、同じ隊商の仲間である以上、そのまま置いて行くわけにもいかない。
結果として一行は、その馬車に足並みをそろえる羽目になってしまった。
本来ならば、次の村には正午過ぎに到着するはずで、村で遅めの昼食を摂ったのち再出発する予定―だったのだが、実際に村に着いたのは、日がそれなりに傾いてからのことだった。ケイとアイリーン、それにエッダは、出発前にキスカから貰ったサンドイッチを昼食にしていたが、その他の面々は亀の歩みとはいえ移動中だっただけに、軽く何かをつまむことしかできず、村に着いた時点で相当な空きっ腹を抱えていた。
遅延の原因になった『ピエール』という商人が、ホランドを含む全員から総スカンを食らったのは言うまでもない。
村はずれの広場。
円陣を組むように馬車を停めた中心、隊商の皆は粛々と野営の準備を進めていた。今、ケイたちがいるのは街道から少し外れた小さな村なので、当然のように全員が休めるような宿泊施設は存在しない。しかし再出発するにはもう暗すぎるということで、今日はここで一夜を明かす運びとなった。
ふぇっふぇっふぇっふぇ……
テントを立てたり、荷物を整頓したりする皆をよそに、焚き火にくべられた大鍋を皺だらけの老婆がかき混ぜていた。
さぁて……ここに、コレを……
ローブの胸元から、何やら粉末を取り出してぱらぱらと鍋に投じる。さらに追加で薬草を放り込みつつ、ぐつぐつと沸騰する鍋を大べらでかき回して、老婆は ふぇーっふぇっふぇっふぇ と奇怪な笑い声を上げていた。
……オレなんかより、あの婆様の方がよっぽど魔女っぽいだろ
テントを張りながら、老婆の方を見やって、アイリーンがぽつり呟いた。
奇遇だな、俺も全く同じことを考えていたところだ
テントを挟んで反対側、地面に杭を叩き込みつつ、ケイ。ハンマーを傍らに置いて、杭にテントのロープを結びつけつつ、ちらりと広場に目を向ける。
湯気を立てる大鍋をかき回す、怪しい皺だらけの老婆。もちろん魔女などではない、この隊商で薬師をしているホランドの親類だ。『ハイデマリー』という名前らしいが、隊商の皆からは『マリーの婆様』、あるいは単に『婆様』と呼ばれて親しまれている。齢は七十を超えているとのことで、この世界の基準からすると、かなり長生きの部類といえた。
婆様、まだなのか?
テントを張り終えて手持無沙汰になったと見える、商人の一人がそわそわとした様子で声をかけた。
ふぇっふぇっふぇ、焦るでない、もう少しで完成じゃ……
ハイデマリーの返答に、おお、とどよめく男達。先ほどからハイデマリーが大鍋と格闘しているのは、何か薬品を精製しているわけではなく、皆の為に夕飯のリゾットを作っているのだ。
徐々に漂い始めた、食欲を刺激する、複数のハーブが混ぜ合わせられた良い匂い―。
ふぇっふぇ、よし、ここにキノコを入れれば、出来あがりじゃよ……!
ハイデマリーはローブのポケットから、乾燥させたキノコを直に取り出し―衛生面は大丈夫なのかと不安になるケイとアイリーンであったが―それを鍋に投じようとする。
わ! わ! わ! 待て、待て! キノコはやめろ、キノコはダメだ!
しかしその瞬間、広場の反対側からホランドが矢のようにすっ飛んできて、ハイデマリーの手から乾燥キノコを勢いよく叩き落とした。
ああっ! なんじゃ、何をするんじゃ!
それはこっちの台詞だ婆さん! いい加減、何度言ったら分かるんだ! おれはキノコがダメなんだよ!
だーからって、はたき落とすことは無いじゃないかね! 苦手なら避けて食べればいいんじゃ!
ダメなんだ! 中に入ってるの見ただけで、もう鍋の中身全部が食べられないんだ!
はァーッ! 子供じゃあるまいし、いい歳した大人が恥ずかしくないのかね!
だ・か・ら! これには深いワケが……って、勘弁してくれよ、この説明ももう何回目か分からんぞ! 耄碌したか婆さん!