なんじゃとーッ!?
木べらを振り上げてお冠のハイデマリー、頭痛を堪えるように額を押さえるホランド、二人は鍋を挟んで、やかましく口喧嘩を始める。やれやれといった様子で、空きっ腹をなだめつつ、それを見守る周囲の者。
ホランドの旦那はそんなにキノコがダメなのか?
らしいな
……あー、これな、ちょっとワケがあるんだわ
どこか呆れた様子のケイとアイリーンに、近くに居たダグマルが渋い顔をした。
というと?
いやな。俺とホランドが幼馴染なのは知ってるだろ。アイツも小さい時は、普通にキノコ食えてたんだよ。だけど俺がガキのとき、ホランドと森に出かけてよ、一緒にキノコ狩りをしたんだが……、
ぽりぽり、と気まずげに頬をかき、
俺が間違えて、毒キノコを採っちまってな。それをホランドが食べちまったんだ。三日三晩、熱にうなされて、何とか一命は取り留めたが……それ以来キノコというもんがダメになっちまったらしい
それは……
ダグマルの解説に一転、ケイたちは気の毒そうな顔をする。
トラウマって奴か
TRAUMA? 何だそれは
肉体的・精神的なショックで、心に負わされる傷のことさ。戦場で死にかけた兵士が戦えなくなったり、食あたりで旦那みたいにキノコが食えなくなったり……そういうのを『トラウマ』っていうんだ
へえ、そいつは知らなかった
アイリーンの解説に、感心したように頷くダグマル。
そんなケイたちをよそに、ホランドとハイデマリーは、キノコを入れない方向で決着を付けたらしい。今夜のメインのリゾットが、ようやく完成した。
腹を鳴らしながら、木の器を片手に、焚き火の周囲に集まる隊商の面々。ケイたちも同様に用意していた器にリゾットをついでもらって、テントの傍の木の下で食べ始める。
しかしアレだな、たまに単語が通じないもんだな
もしゃもしゃとリゾットをかき込みながら、アイリーン。当たり前だが、ケイもアイリーンも、今現在話しているのは英語だ。
ああ。ゲームの中だと考えもしなかったが、同じ英語といっても、言語として成立の仕方が違うんだろう
頷いて答えたケイに、アイリーンは自前のサラミを齧りつつ、ふむと一息ついて首を傾げた。
『トラウマ』って、ラテン語起源だっけ?
いや、たしかギリシア語だったと思う。ゲーム内に、ギリシア語圏はなかったからな……多分ギリシア語そのものが存在しないんじゃないか
DEMONDAL は、北欧のデベロッパが開発したゲームであり、運営会社はイギリス資本であった。プレイヤー人口の八割以上はヨーロッパ圏の住人だったため、ゲームの主言語は英語に設定されていたが、それと同時に雪原の民(ロスキ)、高原の民(フランセ)、海原の民(エスパニャ)など、幾つかのヨーロッパ言語に対応したエリア・民族も実装されていたのだ。
だけど、旦那らが話すフランス語って、起源を辿ればラテン語だろ。んでもって、ラテン語も元を辿れば、ギリシア語に行きつくんじゃなかったっけ?
うーむ。『トラウマ』みたいにダイレクトな形じゃないにせよ、英語にもギリシア語起源の語彙は多い筈だからな。こっちの言語がどういう形で成立したのか、言語学的に興味はあるな……
ウルヴァーンの図書館で、そういうのも調べてみたら、面白いかも知れないぜ?
時間があったら挑戦してみたいところだ……が、学術的な英語は俺にはちょっと難しいんだよな
器の中身を食べきって、ケイは小さく溜息をついた。
ケイは、後天的な英語話者だ。
VR技術の黎明期、世界中の似たような境遇の患者たちと交流するために、ケイは比較的幼い頃より、コツコツと英語を学んできた。おかげで、というべきか、普通の日本人の子供よりも遥かに、生きた英語や、その他のヨーロッパ言語に触れる機会があったのだ。英語に限っていえば、日常生活に支障のないレベルで、訛りなどもなく流暢に喋れるようになっている。しかし、基本的に実地での叩き上げによる語学力ゆえに、殆ど縁の無い学術的な英語は苦手としていた。
俺はバイリンガルじゃないからな……アイリーンが羨ましいよ
バイリンガルっつっても、オレも、英語は完璧ってワケじゃないんだぜ?
羨望の眼差しを向けるケイに、照れたような表情で肩をすくめるアイリーン。
あくまで、オレの母語はロシア語だからな……はぁ、ロシア語が懐かしいぜ
おどけた様子で、わざとらしく、アイリーンは溜息をついて見せる。
そこに、唐突に。
―Тогда давай поговорим на русском со мной
背後から投げかけられた言葉。
弾かれたように二人は振り返る。
……お前は、
ケイは、言葉を呑みこんだ。
そこにいたのは、薄く笑みを浮かべて、木の幹に寄りかかった金髪の男。
―昼下がり、馬車の修理の際に見かけた、あの青年だった。
Ты говоришь на русском языке!?
驚きの表情で、アイリーンが問いかける。
Да, я русский
したり顔で頷く青年。アイリーンはさらに、
Я удивлена! Я не дубала, что есть русский в этом караване
Ага, но это правда. Меня зовут Алексей, а Ты?
Меня зовут Эйлин
Эйлин? звучит по-английски
Именно так. Это потому, что мои родители англичане…
喜色満面で、ロシア語会話を繰り広げるアイリーンと青年。
…………
ひとり、取り残されたケイは、その顔に紛れもなく困惑の表情を浮かべていた。
―っと、すまん、ケイ、
ほどなく、ケイが置いてけぼりを食らっているのに気付き、アイリーンが英語に戻す。
いやいや、その……、驚いたな。雪原の民なのか
ぎこちなく笑みを浮かべながら、ケイは金髪の青年を見やった。
ああそうだ。あんたとは、昼にはもう会ったよな
ニヤッ、と口の端を釣り上げて、青年はケイに手を差し出す。
よろしく、おれの名前はアレクセイ。雪原の民の戦士だ
……俺は、ケイという。よろしく頼む
ぐっ、とアレクセイの手を握り、簡単に自己紹介を済ませる。アレクセイは、かなり握力が強かった。
アレクセイも、護衛なのか?
いや、おれは戦士だが、護衛として雇われてはいない。ただ、ピエールの旦那とは個人的な知り合いでな、ウルヴァーンまで馬車に乗せて貰えることになったのさ
そうか、なるほど……
曖昧に頷きつつ、ケイは次の話題を探そうとする。
しかし、それよりも早く、アレクセイがアイリーンに向き直った。
Но я был удивлен, потому что я никогда не думал, что такая красивая девушка находится здесь