翌朝。
隊商は再び、予定よりも少し遅れて出発した。
原因は言わずもがな、ピエールの馬車だ。村の鍛冶屋に手を借りて入念に修理した結果、普通に速度を出しても問題ないレベルまで直ったものの、代わりにかなり時間を食ってしまったのだ。
何かあったら今度は置いていくぞ―というのは、隊商の長(シェフ)たるホランドの言葉である。
ガラガラガラと、車輪の転がる音。
サスケの背に揺られるケイは、何の因果か、ピエールの馬車の横にいた。
いやぁ、ケイ君が居てくれると心強いなぁ
馬車の手綱を握りながら、ニコニコと笑顔を向けるピエール。彼は二十代後半ほどの痩せの男で、見習いから叩き上げで馬車を持った若手の行商人だ。が、商売を始めたばかりで資金力がないせいか、はたまたその貧相な体格のせいか、ホランドや他の商人たちと比べると、どうにもみみっちい印象を受ける。
また何かあったら、その時はお願いするね! 頼りにしてるよケイ君
……そいつはどうも
ピエールの言葉に生返事をして、ケイは気取られない程度に小さく溜息をつく。
要は、配置転換であった。
昨日、ピエールはケイの腕力にいたく感動したようで、いざという時のフォローの為に、ケイを傍に置いてもらえるようホランドに頼んでいたらしい。そして特に断る理由を持たなかったホランドは、あっさりとそれを承認してしまったのだ。
そもそもケイとアイリーンは、元は必要とされていなかった人員、この隊商における余剰戦力だ。本来ならばただの旅人として参加するところを、コーンウェル商会のコネによって、給金を受け取れる『護衛』の立場にねじ込んでもらったに過ぎない。
つまるところホランドからすれば、ケイの配置は、割とどうでもいいのだ。それが中央であろうとも、後方であろうとも。
(―まあ、それはいいんだが、)
むぅ、とケイは難しい顔をした。じっとりとした目で見やる、数十メートル先。
スズカに跨るアイリーン―と、その横をついて歩く金髪の青年。
(……アイツが前に行かなくていいだろ!)
言うまでもない、アレクセイだ。
旅人として隊商に参加する彼は、戦士ではあるが護衛ではなく、従って給料を受け取らぬ代わりに特別な義務も発生しない。せいぜい隊商が襲撃を受けた際に助太刀をするくらいのもので、後は皆に迷惑をかけぬ限り、何をしていてもいいのだ。
今は能天気に頭の後ろで手を組んで、大股で歩きながら、楽しげにアイリーンに話しかけている。
И так, ты знаете?
Что?
Когда он был маленьким …
風に流されてくる、楽しげな二人の会話。ロシア語なので何を話しているのかはさっぱりだが、朝からずっとこの調子だった。
…………
なんとも―、落ち着かない気分。 アイリーンが誰かとロシア語で話している 、言葉にしてしまえばただそれだけのこと。しかしその”それだけ”が、気にかかって仕方がない。会話の内容が分からないからか、アレクセイが妙に馴れ馴れしいからか、もしくは―。
もしくは……。
……ふぅ
小さく溜息をつく。
もやもやと胸の奥底から湧き上がる、この釈然としない感情を、どう処理したものか。孤独な馬上でケイは、ひとり頭を悩ませていた。
あるいは、ケイが二人の様子をよく観察していれば。
会話の大部分をアレクセイが占めており、アイリーンは質問を挟みつつも、基本的に相槌を打っているだけ、ということに気付けたのかもしれないが―。
どうしたんだい、ケイ君。元気がないように見えるけど
ぼんやりとしていると、横から声をかけられる。
見れば右手、心配げにこちらを覗き込むピエールの顔。
……いや、
一瞬、 お前のせいだよ! と言いたい衝動に駆られたが、頭を振ったケイは手をひらひらとさせて誤魔化した。
そんなことはない。いつも通り元気さ
そうかい?
ああ
そこでふと、昨夜のアレクセイの言葉を思い出す。
“ピエールの旦那とは個人的な知り合いでな”
……なあ、ピエール、ひとつ聞きたいんだが
ん? なんだい? 僕が知ってることなら、何でも聞いておくれよ
人懐っこい笑みを浮かべるピエールに、悪い奴じゃないんだがなぁ、と苦笑しつつ、
昨夜、アレクセイが言ってたんだが、あなたは彼と個人的な知り合いなんだろう? どんな風に知り合ったんだ?
ああ、アレクセイか。彼はね、僕の命の恩人なんだよ
命の恩人?
思わぬ言葉が飛び出てきた。興味深げなケイをよそに、ぴょるん、とした控え目なカイゼル髭を撫でつけながら、ピエールはどこか遠い目をする。
二年前のことだったかなぁ。僕がまだ見習いだったときの話さ。師匠の馬車に乗って、モルラ川より東で行商をしてたんだけどね、街道からちょっと外れたあたりで、盗賊に襲われてさ
ほうほう
後方から、弓矢の奇襲だったかな。それで運悪く、二人いた護衛の片方が即死、もう片方も怪我しちゃってね。……一応、ほら、僕ら商人も戦うからさ
ひょい、と御者台の傍らに置いていたショートボウを、持ち上げて見せるピエール。
師匠と、怪我した護衛と、僕ら見習いが何人か……。全員戦う覚悟は出来てたんだけど、いかんせん相手が多くてね。七、八人はいたと思う、しかもけっこう強そうでさぁソイツら。こりゃもうダメかな、と諦めかけた、まさにその時!
手綱を放り出して、ピエールは大袈裟に天を仰ぐ。
道の向こう側から、地を這うように、放たれた矢のように、猛然と駆けてくる少年が一人ッ! ……それが彼さ。あの時は、今より背も低かったし子供っぽかったけど、本ッ当に強かったなぁ。こう、バッタバッタと……あっという間に五人を討ち取っていったよ。残りの賊は、こりゃ敵わないと尻尾捲いて逃げていった
ほう、それは……やるな
ケイの口から漏れ出たのは、紛れもなく本心からの言葉。現在、アレクセイは十八歳ほどに見える。それが二年前の話となると、当時の彼は十六にも満たない、子供といってもいい年頃だろう。話を聞く限りでは機先を制したようだが、それでも大の大人を五人も殺害するのは、容易なことではない。
なかなかに侮れぬ―と、そう思うケイの目は鋭い。
あの光景は目に焼き付いて離れないよ。本当に強かった……それから近くの村によって、師匠がお礼とばかりに宴会をして。僕は、見習いだったから、特に何もできなかったけど。次に会った時は、何かお礼をしたいなと考えていたんだよ
そして、つい先日、サティナの街で偶然アレクセイと再会した―というわけだ。
なるほど、な……。しかし、すごい偶然だな。街道のはずれで、彼のような強者に出会い、その助太刀で九死に一生を得るとは……